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星間戦争

下巻:火星人占領下の地球
第2章 破壊された家で我々が目にしたもの(承前)

H. G. Wells / 中条卓訳

その動きはあまりに素早く、複雑かつ完璧だったので、最初のうち私は金属的な輝きに気づきながらもそいつが機械だとは思わなかった。例の戦闘機械だってバランスが取れていたし、とてつもない速さで動いてはいたが、この操作機とは比べものにならなかった。こういった構造を自分では一度も見たことがなく、想像力不足の画家が描いた絵や私自身を含めた目撃者たちの不完全な記述しか見聞していない人にとって、あの生き物そっくりな動きを実感することはほとんど不可能だろう。

とりわけ私は戦争の経過をつづる初期の小冊子に描かれていた絵を思い出すのだ。たしかに画家は戦闘機械について大急ぎで調べたようだったが、彼の知識は所詮そこまでだった。描かれた戦闘機械ときたらぎくしゃくと傾いた三脚にすぎず、柔軟性や精妙さのかけらもなくて、実際とはかけ離れた単調な印象を与えるものだった。こうした絵を載せた冊子はずいぶんと売れたようだから、読者諸賢の中にはごらんになった方もいらっしゃるかも知れない。私がここで小冊子について述べたのは、ただ単にあなたがそこから受けたであろう印象は実際とは違っていますよ、と警告するためである。私がその動きを目撃した火星人たちとあんな絵を比べたら、ほんものの人間とオランダ人形くらいの差がある。かの小冊子は絵を載せない方がずっと良かっただろうと私は思っている。

先にも書いたように、はじめのうち私は操作機が機械であることに気づかず、ぎらぎらと光る外皮を持ったカニのような生物と思ったし、精巧な触手を操作している火星人のことは単にカニの脳にあたる部分だろうと思ったのだった。だが、やがて私は灰色がかった褐色の皮革みたいなその外皮が向こうで這い回っている連中そっくりなのに気づき、ようやく器用な作業員の正体に思い至った。それに気づくとともに私の興味はもうひとつの生き物、すなわち生身の火星人たちに移っていった。私はすでに連中を瞥見していたので、最初に覚えた嫌悪感はもはや私の観察の妨げとはならなかった。その上私は隠れ場所にじっとしているのだし、急ぎの用事があるわけでもなかった。

連中は言ってみれば思いつくかぎりで最も不気味な生き物だった。巨大な丸っこい体―というよりも頭―は直径4フィートほどで、その前面には顔があった。顔には鼻孔というものがなく、つまり火星人には嗅覚がないようなのだが、非常に大きな暗色の目が一対あって、その下には肉質のくちばしのようなものが突き出ていた。この頭だか体の背後には―どう言ったらいいのか見当もつかないが―一枚のぴんと張った太鼓の皮みたいな膜があり、解剖学的には耳であろうと推測されたが、我々が呼吸している濃密な大気の中ではほとんど役に立つまいと思われた。口のまわりをぐるりと取り囲んでいるのはまるで鞭のように細い16本の触手で、8本ずつふたつの束になっていた。ためにこれらの束は高名な解剖学者であるハウズ教授によって適切にも「手」と名付けられたのであった。私が見ている間もこれらの火星人たちは彼らの手を使ってまずは起きあがろうと努力していたのだが、地球の重力によって体重が増加しているのだから、無論これは不可能なことだった。連中は火星にあっては手を使って容易に前進していたものと仮定して差し支えあるまい。

体内の解剖についもここで述べておくが、剖検によればそれは体表と同じくらい単純なものだった。体内の大部分を占めているのは脳で、目、耳および触手に膨大な量の神経を送っていた。その両脇にあるのは口とつながった大きな肺であり、また心臓と血管であった。連中の外皮がけいれんにも似た動きを示しているのが濃密な大気と過大な重力によって生じた呼吸困難のせいだということは明白だった。

火星人たちの臓器はこれですべてだった。人類にとっては不可解なことだが、我々の体内で大きな容積を占めている複雑な消化器官というものが火星人には存在しなかったのだ。連中は全身これ頭であり、頭しかないのである。連中には腸がなかったのだ。彼らはものを食べず、消化もしない。代わりに他の生物の生き血を吸い取っては自らの血管に「注入」するのだった。みずから目の当たりにしたことではあるが、たとえ神経過敏のそしりを受けようとも、見届けることすらできなかったことをここでくわしく述べる気にはとてもなれない。どうかこんなふうに書くだけで勘弁してもらいたい。生きた動物―それはほとんどの場合人間だった―から吸い取られた血液は小さなピペットによって彼らの導管へじかに流し込まれるのだ…

我々にとってこれは明らかに想像するだに不快きわまることではある、だがそうは言っても、我々の肉食という習慣が知性を持ったウサギにとってどれほど不愉快なことか考えてみる余地はあろう。

血管への直接注入というのが生理学的見地からすれば大いに有利であることは論を待たない。人類が食事および消化のプロセスにどれほどの時間とエネルギーをむだに消費しているかを考えてみればよろしい。我々の体というのは半ば腺と管と消化器官からできていて、その役目というのは外からきた食物を血に変えることなのだ。我々の力は消化の過程に費やされ、それが神経系に及ぼす作用は我々の精神を染め上げる。人間は健康な肝臓あるいは胃腺を持っているかぎり幸福でいられるが、これらの臓器が病んでいればみじめな気分を味わうだろう。しかしながら火星人たちは内臓に由来するこうした気分や情緒の変動とは無縁なのだ。

連中が食糧として火星から持ち込んだ生物の食べ残しを見れば、火星人たちがどうして人間を栄養源として好むのかが、ある程度理解できた。我々が入手したしなびた抜け殻から見るに、この生き物はまるでスポンジのような珪質の骨格を持った2足動物で、筋肉は乏しく、体長は6フィートほどで、直立した丸い頭部にある堅固な眼窩には大きな眼球がはまっていた。円筒にはそれぞれ2,3匹が積み込まれていたようだが、地球に着く前にみんな殺されていた。たとえこれらの生物が生かされていたとしても、地球上で直立しようとしただけで全身の骨が折れて死んでいただろうから、どのみち同じことではあったが。

火星人のようすを記述するついでに、細かいことだがいくつか付け加えておこう。これらは当時の我々には知られていなかったことだが、連中の姿を見たことのない読者が火星人という不快なる生き物を理解する助けにはなるであろう。

火星人たちの生理は奇妙にもさらに3つの点で人間とは異なっていた。まず第1に、我々の心臓が眠らないのと同様、連中は眠ることがなかった。回復を必要とする大量の筋肉機構を持たぬがゆえに、彼らは睡眠という、いわば周期的な消灯とは無縁なのだった。彼らはほとんど疲れを知らないかのようであった。地球上では多大な労力を費やさずに動くことはできなかったはずなのに、彼らは最後の最後まで活動し続けた。この地球上にあってさえ、おそらくは24時間不眠不休のぶっ通しでアリのように働き続けたのだ。

第2には、性というものが存在するこの世界にあっては驚くべきことなのだが、火星人たちには性別というものがまったくなく、ゆえに彼らは男女の違いから生じる荒々しい情緒などとは無縁だったのだ。戦争中に地球上で火星人の幼弱個体が一匹生まれたことが今では明らかになっている。その個体は親に付着していたが、株分かれする百合根あるいは淡水産ポリプの幼生みたいに「出芽」しかけていた。

地球に住むすべての高等動物と同様、人類においてかような増殖様式は絶えて久しい。しかしながらこの地球でさえ原始的な生殖方法はこうだったのだ。下等動物の間では、あるいは脊椎動物のいとこにあたる尾索動物においてでさえ、ふたつの増殖形式は平行して行われている。だが、最終的には有性生殖がライバルの無性生殖を完全に下したのである。しかしながら火星における事態はまったく正反対であったらしい。

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