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Author Interview

インタビュアー:[雀部]

『黄金の門』
> 平谷美樹著/
カバーデザイン 芦澤泰偉
カバーオブジェ 三浦 均
カバー写真撮影 二塚一徹
> ISBN 4-7584-1048-8
> 角川春樹事務所
> 1900円
> 2005.3.8発行
粗筋:
 21世紀初頭、世界は混迷の中にあった。世間では、イスラムの凶暴性と、ユダヤ教の頑迷と、キリスト教の無力が知れ渡り、仏教やヒンドゥー教は我が道を歩んでいると思われていた。フリーターである日本人青年(ノブサン)は、世界を放浪する中で、エルサレムに立ち寄った。ノブサンは、ひりひりとした生を感じたいと願い、ぬるま湯的な平和に浸る日本を出たのだが、本当は怖くてたまらず合成麻薬に走る毎日だった。そんな彼がエルサレムに来たわけは良い金になるバイトの口があったからで、それはゲセマネの園での発掘調査だった。エルサレムに着いた当日、ノブサンは車に乗せてくれた運転手が自爆テロで命を落とすのを目撃し、今更ながらのショックを受ける。
 エルサレムで、遺跡発掘の日雇い仕事をするうちにノブサンは、ヨシュアと名乗る不思議な少年に出会うが、その少年は、既存の宗教を超越した教えを説き、人々の間に信者を増やしていた。果たして彼こそが“救世主”なのだろうか……

エルサレム近郊地図

もっと判りやすく、ぼくの“神”に対する解釈を描こうと思ったわけです

雀部 >  今月の著者インタビューは、『黄金の門』作者の平谷美樹さんです。
 平谷さん、前々回の『レスレクティオ』インタビュー前回の『ノルンの永い夢』のインタビューに引き続きよろしくお願いします。
 著者インタビューでは初めての三回目(特別対談を入れると四回目)のご登場ということで、ありがとうございます。
平谷 >  よろしくお願いします。だいぶ慣れてまいりました(笑)。雀部さんが優しい方だということも判りましたし。最初は甘い科学設定に「どんなツッコミが来るんだろう」と戦々恐々、冷や汗かきまくりでしたが、今回はリラックスしてます。
雀部 >  特に優しいというわけではないんですが、作者が書こうとしてない事項にはツッコミません(笑)
 『黄金の門』は、《エリ・エリ》サーガ完結編ということで、ご苦労はございましたか。
平谷 >  ストーリーは特に苦労はありませんでした。エルサレムの資料集めが少々難航したくらいでしょうか。
 やはり一番難しかったのは宗教の扱いです。
 信者でもない人間が宗教を描くのはとても難しい。どうしても誤解、曲解が出てきますからね。三人称だと「地の文」で特定の宗教を説明する場合、公平な描写は無理だと判断しました。また、特定の信仰をもつ人物の心理描写というものも、どれだけその宗教を勉強したところで、信仰の外側にいる者には描けないと考えました。
 学校を扱った小説を読んだり、ドラマを見たりするとものすごく違和感を感じることがあります。それは、外側の人間の解釈で描かれるからです。
 「そんな先生(生徒)、いねぇよ」とか「その校則は20年前にしか存在しない」とか(笑)
雀部 >  わはは、歯科関連でも確かにあるなぁ(笑)
平谷 >  それと同じ事が「宗教」にも言えるのではないかと考えたわけです。
 だから、今回は一人称にしました。ノブサンは、どの宗教に関しても外側の人間です。一人称であれば、部外者である彼の視点からしか宗教は語られません。
 これは「逃げ」ではなく、ぼくなりの「それぞれの宗教を尊重したいという思い」だと考えてください。
雀部 >  なるほど、ノブサンの一人称で語られるのはそういうわけだったんですね。
 ノブサンは、最初ちょっと見は、プーなんだけど段々しっかりしてきて、クライマックスでは何気に頼れる兄貴になってましたね(笑)
 『黄金の門』が、『エリ・エリ』の前日譚というのは、読ませて頂きよく分かったのですが、どうしてこの作品が最後に書かれることになったのでしょうか?
平谷 >  ぼくは時間系列順に物語を書いていくのが好きなのですが、『黄金の門』→『エリ・エリ』→『レスレクティオ』と全て書いて『エリ・エリ』とすれば2000枚ほどになってしまいます。
 第一回小松左京賞は上限なしでしたが、それでは冗長になってしまいますし、時間的にも技術的にも、当時のぼくには無理でした。
 そこで、まず『エリ・エリ』を書いたわけです。次に『レスレクティオ』だったのは、主人公が『エリ・エリ』と同一だったから。
 今回『黄金の門』を書いたのは、『エリ・エリ』と『レスレクティオ』を書くことによって、プロットや作品のイメージとして全体をとらえていた時には判らなかった問題点が明確になってきたからです。もっとも、おおざっぱなプロットは『エリ・エリ』を書いた時点で存在していましたが。
 ぼくとしては『レスレクティオ』のラストで“神”についての決着はつけたつもりだったのですが、「それでは、地球上の神、人類の神とは?」という質問をよく受けました。
 『レスレクティオ』にちゃんと、書いているんですけどね(笑)
 そこで、棚上げにしてあったイエスの石板を解決するとともに、もっと判りやすく、ぼくの“神”に対する解釈を描こうと思ったわけです。
 連続して三冊書けば良かったかなとも思いますが、ぼくは欲張りなので、色々なものを書いてみたいんです。ですから『エリ・エリ』→『運河の果て』→『レスレクティオ』→『約束の地』→『黄金の門』と、春樹事務所から出した本では一冊おきに『エリ・エリ』の続編を書いていたというわけです。
雀部 >  “神”に関しての解釈は、ストンと胸に落ちました。“神”を感じる人の数だけその解釈があるんだ。もちろん、異星人の“神”も。『レスレクティオ』を読んだ時点ではあまり考えなかったんですが、『黄金の門』でも、キリスト教が重要なモチーフとなってますよね。これがユダヤ教とかイスラム教でないのは、なにか理由があるのでしょうか。
平谷 >  宗教はあまたありますが、日本人になじみがある宗教は「仏教」「神道」「キリスト教」だと思います。世に出す作品として考えた場合、なじみのある宗教がいいという考えもありました。
 しかし、もっとも大きな理由は、ぼく自身がキリスト教に興味を持っていたということですね。
 キリスト教にしても、イスラム教にしても、ユダヤ教の中から現れたローカル宗教です。ユダヤ教の聖典でもある旧約聖書(ユダヤ教ではイエスをメシアと認めていませんので、彼が“新しく神と契約した”新約聖書は聖典としません。ですからユダヤ教では旧約聖書とは言いません)は、物語の宝庫です。また、ムハンマドが興したイスラム教も、教義の中から当時のアラブの社会情勢を垣間見ることができて興味深い。
 キリスト教の新約聖書は一人の救世主の人生を通して描かれています。そこに魅力を感じます。様々な場面に色々な解釈が出来る。もちろん、宗教的解釈ではなく、文学的解釈やSF的解釈も。視点を変えれば正反対の意味も浮上して来る。
 小学校時代までは、キリスト教というと「キリストというカミサマを拝む宗教」程度の認識(もちろん、キリストは救世主の意味でありカミサマではありませんが)しかありませんでした。
 その視点を大きく変えてくれたのが光瀬龍さんの『百億の昼と千億の夜』と、星野之宣さんの『妖女伝説』です。
 『百億の昼と千億の夜』では弥勒にしろイエスにしろ、その“救済”というものに疑問を投げかけます。
 『妖女伝説』は漫画の短編集ですが、その中にサロメをあつかったものがあり「イエスは果たして救世主だったのか?」という説得力のある問題と解答が提示されています。
 その二つの作品はぼくに「一つの星座も観測点を変えることによって全く違うものに見える」ということを教えてくれました。
雀部 >  光瀬龍さんの『百億の昼と千億の夜』は、SFファンにもお馴染みですね。萩尾さんの漫画のほうが、一般的には有名かも知れませんが。星野さんの「砂漠の女王」(『妖女伝説』に収録)は、“魂転生の秘法”という生まれ変わり(?)の術が出てきてなにげにSFぽい味がありました。平谷さんのお好きな漫画って、どういうのでしょうか? ご贔屓の漫画家さんはいらっしゃいますか?
平谷 >  漫画はいっぱい読みました。「読みました」と言うのは、最近はもう読むものが固定されていて年間10冊も読まないからです。
 実は、我が家には「漫画部屋」と呼ばれる部屋がありまして、編集者や釣り友達が泊まるゲストルームなんですけれども、八畳間程度の部屋にたぶん1000冊以上の古今の漫画が収まっています。
 お気に入りの漫画家さんは、浦沢直樹さんとか、星野之宣さん。お二人は、作品ではなく名前で本を買います。たぶん、現在まで出ている単行本はコンプリートしているはず。
 あっ。浦沢さんのテニス漫画は買っていません。
 星野さんはハードな宇宙SFや伝奇漫画が大好きです。
 あとは、本屋で見て直感的に面白そうだと思う漫画を買ってきて、面白ければ続けて買うという感じです。だから、あまり名前の知れていない漫画家の作品もあったりします。
 ジャンルはSF漫画。ホラー、伝奇、サスペンス、ってところでしょうか。最近はビニールをかけてあるので中身が見られず、名前を知らない漫画家さんの本はカンを頼りに買うのですが、あまり外しません。
 月刊・週刊雑誌は買わないので、連載中のお気に入り漫画なんかがあると、単行本が出るのを半年から一年待つっていうのは、なかなかマゾヒスティックな苦しさがあります(爆)。
雀部 >  私と反対なんですね。私は、青年誌を中心とした漫画雑誌を週七冊購読してますが、単行本はほとんど買いませんから。平谷さんと漫画は前回のインタビューや三好さんとの特別対談でもふれられています。
平谷 >  また中学時代に映画を見、原作も何回も読み返した『エクソシスト』の影響で、聖書を読むようになりました。しかし、それは純粋な興味からであって、信者になろうとは思いませんでしたが。
 聖書を読むうちに「裏を読むと大変なことになる」という描写がいくつもあることに気づきました。また、教義に矛盾するイエスの行為もたくさん見つけました。
 その大半に、二千年をかけた理由付けがなされているのは後になって知りましたが、神学とか宗教学的なこじつけとしか思えないものもあります。
 『エリ・エリ』についてのキリスト教徒の方々、特に熱心に聖書を研究なさっている方の感想にその手のツッコミが多かったですね。「エリ・エリ・ラマ・サバクタニ」の解釈とか。こっちは詩篇からの引用ということも知っていて、あえて“神に対する疑い”というふうにしたのですけれど。
 そういえば『ダ・ヴィンチ・コード』に対してバチカンの枢機卿が文句を言っていましたね。「そんなことは聖書に書かれていない」的な発言は、中世の聖職者たちの言葉と本質的になんら変わっていないんだと思いました。
雀部 >  新聞で読みました。真面目に反論しているのが、なんか笑えますよね。あくまで小説の中のお話なのに。誰も、インディー・ジョーンズが実在しているとは思ってないぞ(笑)
平谷 >  話を戻しまして――カトリックに潜むオカルティズムや、中世のキリスト教の暴挙などについても知るにつれて、「神モノ」あるいは「キリスト教モノ」のネタがどんどん膨らんでいきました。
 それが、『エリ・エリ』に連なる作品群でキリスト教が重要なモチーフになっている理由です。
 一神教的な思考は常に対立というトラブルを産み続けています。絶対神という考え方を基本とすれば、それは当然のことではあります。相容れないものは排除しなければ、自分たちの信仰が危うくなるわけです。
 しかし、多神教的なものの考え方は、たとえばローマの思想的戦略をみても判るように、うまく異質なモノを取り込みます。もちろん、多神教を国教とする国にも争いはあるわけですが「そういう考え方もあるだろう」という曖昧な結論を出して丸く収めることがうまいように思えます。
 そういった意味では、ノブサンは多神教的思考の持ち主ですね。
雀部 >  多神教的な考えは、昔から八百万の神に親しんでいる日本人には受け入れやすいですよね。キリスト教における聖なるモノと俗なるモノ=精神と物質の二元的把握のほうが、イスラム教の“タウヒード=世界の万象が存在者としてすべて等位にある”という思想より、小説のネタにしやすいでしょうし(笑)
平谷 >  タウヒードについても、各派で解釈が異なりますからね。
 唯一絶対の教えを伝えるためには、始祖は死ねません。いや……、始祖の口から発した教えは、受け取る弟子の耳に入った瞬間に、別物に変質していますから、唯一絶対の教えというのは、全く個人的なものということになりますね。
 でも、純粋にSFとして扱うならタウヒードの方が面白いと思います。すべての物質は11次元で振動する極小の“ひも”であるわけですから、存在者としてすべて等位であるわけです。
雀部 >  お、そちらから攻めてくるのもありますか(笑)
 意識というか、脳の活動状態も極小“ひも”の状態で表せるものなんでしょうかねえ?
平谷 >  ミクロとマクロでは、まるで様相が異なりますからね。でも、確かペンローズは、意識の流れを量子力学で説明したりしてたように思います。『約束の地』の時に調べたんですが、細かいところは忘れちゃいました。
 確か、『ノルンの永い夢』のインタビューでお話しした量子力学のネタを、“脳の活動状態に似たもの”をもっとマクロに捕らえつつ、その拡散と収縮という形で書いています。
 おっと、あまりお答えすると、その作品のネタバレになってしまうので、このへんで(笑)

集合的無意識は擬似科学系オカルティスト御用達の理論です(笑)

雀部 >  あ、次作品のネタを突いてしまいましたか、ごめんなさい(爆)
 そうそうネタと言えば、作中に出てきた“ユングの集合的無意識”もネタにしやすかったですか?(笑)
平谷 >  集合的無意識は擬似科学系オカルティスト御用達の理論です(笑)。
 でも、実際にどうかという議論は別にして、フロイトよりもずっと面白い。
 神話が民族、そして人類に通底する“巨大な海”に発するものであれば、そこを壊してやれば神話は消滅してしまう。信者の方々は怒るでしょうし、神学や宗教学に詳しい方も首を縦には振らないでしょうが、宗教の本質は、始祖にまつわる神話のようなものだと思うんですよ。
 もっと身も蓋もない言い方をすれば、○○教の信者集団という“社会”の共同幻想。
 特に、「唯一絶対」という考え方が厄介です。様々な紛争は極論すれば「おれが正しい」という主張のぶつかり合いですからね。
 政治や武力での解決は不可能ですし、もちろん宗教的な解決など望めるわけはない。たとえ同じテーブルを囲み、協議したとしても、最終的に「こっちが譲歩しているのに、向こうが聞かない」ということになってしまう。
 だとすれば、現在あちこちで勃発している紛争を解決するには、根本的な部分を壊してしまうしかない。
 それでは、根本はどこか?
 で、集合的無意識とつながるわけです。

 オカルトに擬似科学を持ち込む上で、集合的無意識論は、いい緩衝剤でもあります。高名な心理学者の唱えたものですから。
 内容的にはオカルトそのものだと思いますけど(爆)
雀部 >  ユング博士は、超常現象にも大変興味を持たれていたようですから。
 そういえば、UFOも集合的無意識の産物という著書もありましたね(笑)
平谷 >  そうです(笑)。困っちゃいますね。
 フロイトの所を訪ねてPKらしき力で、書棚を吹っ飛ばした(大きな音を立てただけだったかな)とかいう逸話もありますよね。スカラベにまつわる同時共時性の話もあります。
 なんだか、眉に唾をつけたくなるようなことを言うオジサンですが、なんか、好きなんですよ。
雀部 >  私も好きです(笑)
 ユング博士の学説は、SFファンには、好きな人が多いんじゃないですか。
平谷 >  拡大解釈もしやすいですし、加工もしやすい。何か突発的に、原因も不明確なまま暴動が起こる場合の理由付けとして『宇宙人が電波によって誘導した』というよりも説得力はある(笑)。
 冗談めかして言いましたが、集合的無意識というものが存在するならば、《約束の地》で描いた『他者との真のコミュニケーションは存在し得ない』という考え方の反論にもなりえる。本心で言えば、集合的無意識というもので、みんなつながっていてほしいという思いはあります。
雀部 >  ほんとだ。『他者との真のコミュニケーションが存在して欲しい』というのは、平谷さんの願いでもありますね。世界平和にどれだけ役立つことでしょう。
平谷 >  確かに世界は平和になると思います。ただ、それが幸せな状態かというと、どうでしょうか。他者の意識と自己の意識の境目が無くなって行くでしょうから。
 小説も面白みのないものになりますね。他者との葛藤というものがあり得なくなります。
雀部 >  どういう状態が人間らしいかですよね。その人によるだろうけど。
 葛藤とか軋轢があるからこそ、それを解決したときの感動もあるわけで。
平谷 >  以前のインタビューでもお答えしましたが、作品の中には救いを描きたいんです。《約束の地》は人類と超能力者の間にある断絶を描きましたが、最終的には救いのある話にしたいと考えています。後日談に手をつけるのは、もう少し先になりそうですが。
雀部 >  “救い”のある話のほうが好きなので、楽しみにしています。
 集合的無意識というと、自然崇拝の原始宗教であるアニミズムとの関連で、我々にも理解しやすい概念だと思います。ヘーゲルによると、人間の霊的な存在のうち近代的精神の枠内に閉じこめえなかった部分が、集合的な「精神」として自立し、その弁証法的自己展開が国家として完成するそうで、これってアニミズムの変形であると同時に、集合的無意識の別形態ではないかと(笑)
平谷 >  現代人の中にも厳然としてアニミズムは存在していると思います。獣からヒトになっていった人類の精神の遍歴は、おそらく我々の中にいまだに存在しているんです。

知人には「病気は百物語のせいだ」と言われています(笑)

雀部 >  私もそう思います。その獣性を理性で押さえることができるのが、人間としてあるべき姿ではないかと。
 ところで、平谷さん。なんか去年は大変だったとか聞き及びましたが。
平谷 >  年齢のせいなんでしょうかね(爆)。一気に病が押し寄せて来ました。
 高血圧・高脂血症・高尿酸血症・複合型睡眠時無呼吸症であります。
 すべて昨年、一気に来ました。ストレスが引き金かなと。昨年はムチャな校内人事をされたものでストレス溜まりっぱなしでしたから。
雀部 >  ありゃ、いっぱい。
 睡眠時無呼吸症は、歯科にも関係していて、お医者さんから要請されれば、専用のマウスピース(かみ合わせを挙上するために)を製作することがあります。それか、鼻マスクをして酸素吸入かですね。
 あまり旅行とか、お好きな釣りなんかには行けなくなりますよね。
 まあ、SF作家は、空想上の旅行ができますから。
平谷 >  シーパップという鼻マスクは、デイパックに入るくらいの大きさなので、旅行には手荷物が一つ増える程度ですみます。鬱陶しくはありますが、つけて寝ると安心感があるんですよね。
 複合型ということで、気道が狭いのと脳から出る呼吸の指令が弱いのが原因だそうで。
 先日、取材で宿泊しなければならないことがあり、シーパップを持って行きましたが、自家用車で移動したということもありますが、荷物ということに関しては、全く苦になりませんでしたね。
雀部 >  あ、コンパクトなのもあるんだ。まあ、つけて寝るほうが良く眠れるというのは分かります。気道が狭いのを、少しでも拡張するのが、マウスピースなんです。
 平谷さんって、太られてましたっけ?
 あんまりそういうイメージが無かったもんで。
平谷 >  まぁ太っていることも太っているんですが、喉周りにはほとんど脂肪はついていません。
 現在、鋭意減量中。以前、柔道部顧問をしていたこともあって、筋肉の重さ+柔道部顧問から外れて以降溜まった脂肪で90キロ代の後半です。
 ゴーヤ茶で正月から現在まで3キロ〜4キロ減量しました。ちょっと前はジムに通っていたんですが……。カルシウム拮抗剤を飲んではいますが、高血圧が心配で運動は躊躇しています。現在、就寝前と起床時の血圧は140−90くらいまで落ちました。朝だけ薬を飲みますからちょうど薬が切れた頃、その数値です。
 ところが、この一週間、血圧が低めなんですよ。シーパップのおかげですかね。薬を飲んでいないのに(低くなりすぎるのが恐いので)130−80とか、120−70あたりまで下がっています。このままいってくれると、病が一つ消えます。もう少し様子を見て安定してきたら、運動を始めようと思います。
雀部 >  私ゃ、ウォーキングをしています。5,6kmなら一時間で歩けるし。
 車があまり通らないところなら、構想を練りながら歩くとか。歩いている時の脳の働きは非常に良いといいますよ(余計なお世話かも(笑)
 ご病気が、『黄金の門』の内容に影響ありますでしょうか?
平谷 >  知人には「病気は百物語のせいだ」と言われています(笑)。
 それについては編集者もかなり心配しています(爆)
 しかし私は「祟り」のようなものは信じていませんし、霊の存在についても(怪談集を書いたり自分でも見たりしているのに、なんですが)けっこう懐疑的です。しかし、存在すると考えることによって、人間的に豊かになったり傷心が癒されたりするのは、父の死を通して感じました。
 まぁ百物語については「ある人物が、どういう体験をし、どう恐怖したか」という興味をもとに話を集めているのですが。
 『黄金の門』については、とりたてて病につながる内容でもありませんし、病について知られることで作品を曲解されることもないと思います。
雀部 >  いえ、けっこう死生観というかそこらあたりが出ているような気がしたものでして。
平谷 >  病が生死観に影響を与えたということはないですね。でも、睡眠時無呼吸症についてはシーパップを使う前までは、「明日の朝、自分は生きていないかもしれない」という不安は少しありましたね。
 死については、父や飼っていた猫や犬を看取った後、随分かわりました。
 死はすぐ隣にいるのだということを、まさに実感しました。
 連続する病については、あまり深刻にはなっていません。
 その状況を楽しんでもいますし、早めに見つかって治療法があるのが幸運だとも思っています。知人では睡眠時無呼吸になってマウスピースをつけることになり、見てるのが気の毒なほど落ち込んでいる人もいますが、わたしはシーパップを装着するのを楽しく感じていたりします(笑)
雀部 >  まさに作家魂。
 私も50代半ばとなり、やはり昔とは本の読み方も違ってきたような気がします。
 そういう意味では、『黄金の門』は、ノブサンのような若者にも、熟年世代にも読んでもらいたい本であるとの印象を持ちました。
平谷 >  ありがとうございます。
 年老いたノブサンが語る遠未来のビッグクランチへの期待は全く持っていませんが、父や愛猫、愛犬を構成していた物質は化学変化を起こしながらもこの地球上にあるのだということは感じていますし、その意味で彼らは消滅したわけではないのだとも思っています。わたしなりの癒しの方法ではありますが(笑)
 魂とか霊については、感覚的には不滅であるように思いますが、理性的に考えると、どうも……(笑)
雀部 >  よく分かります。まあ、自分の存在が無くなった後も、世界が何事もなく続いていくというのは、ちょっと癪でもありますが(笑)
 それでは最後に現在執筆中の作品を、ネタバレにならない程度に可能な限りご紹介下さい(笑)
平谷 >  今、執筆しているのは、2本です。
 まず、中央公論新社から依頼された本格SF長編です。《銀の弦》というタイトルで、2年越しで取り組んでいます。後半の重層的に存在する世界の描写で苦労して一進一退であります。
 それから《百物語第4夜》。第3夜で終わりのはずだったのですが、編集者にどうしてもと言われまして……。友人たちが体験談提供者を紹介してくれまして、「友達の友達の体験談」ではあるものの、今回も確実に出所がはっきりしているものだけ集めています。
 準備中は3本。
 1つは縄文時代草創期から晩期にかけての東北を舞台にした小説です。1万年に及ぶ《一族》の物語になる予定です。
 2つ目は、本格SF。近未来パニック物です。プロットを提出したので、返事待ちです。
 3つ目は、オファーがあるものの、まだ形になっていません。
 そして、既刊の文庫化が2本。
 1本は《エリ・エリ》です。みなさんよくご存じの大先輩に解説の執筆を快諾していただきました。どなたであるかは出版されてからのお楽しみ(笑)
雀部 >  私の基準では、山田正紀先生(笑)
平谷 >  今年前半には出ますので、よろしくお願いします。
 もう1本については、「文庫化しましょう」というお話をいただいているという段階ですので、まだどの本であるかは書けません。ポシャッたら恥ずかしいので(笑)
 それから、ローカルですが、胆沢ダム広報誌『ささら』に紀行文を連載しています。ぼくの地元の隠れた名所などを巡ったり、歴史の謎を推理したりと、自由に書かせてもらっています。プロのカメラマンが同行して写真を撮ってくれるので、完成した紙面を見るのをぼくも楽しみにしています。
雀部 >  『ささら』は、胆沢ダム工事事務所webサイトから読めますね。平谷さんの紀行文もWebで読めます。おや、著者近影もあるなあ、良い時代になったもんだ(笑)
 新作(SFふぁんとしては、特に《銀の弦》)期待しております。ご無理の無い範囲でお願いします。


[平谷美樹]
'60年、岩手県生まれ。大阪芸術大学卒。岩手県の中学校に美術教師として勤める傍ら、創作活動に入る。2000年『エンデュミオン エンデュミオン』で作家デビュー。同年『エリ・エリ』で第一回小松左京賞を受賞。以後、多彩な作品を精力的に発表し、本格SFの書き手としてもっとも期待されている作家である。また岩手県を舞台とした本格ホラー小説『虚空 聖天神社怪異縁起』など郷土色豊かな作品も発表している。
[雀部]
平谷美樹さんのオンラインファンサイトの管理人もやってます(笑) 小松左京先生の直系の後継者は、平谷さんと信じてます。

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