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Author Interview

インタビュアー:[雀部]

『菓子フェスの庭』
> 上田早夕里著/中村佑介装画
> ISBN-13: 978-4758435987
> ハルキ文庫
> 590円
> 2011.12.18発行
 実はお菓子が大の苦手な西富百貨店芦屋支店の武藤は、西宮ガーデンズで行う予定の「お菓子のフェスティバル」の責任者に抜擢されてしまう。断り切れずに引き受けたものの、自分一人ではいかんともし難いので、お菓子が大好きという後輩の緒方麗子に協力を懇願する。
 一方、神戸にあるフランス菓子店<ロワゾ・ドール>では、その武藤から「お菓子のフェスティバル」に出店の依頼を受け、中堅パティシエの夏織をその新作づくりに抜擢する。
 そんな折、密かに想いを寄せていた先輩パティシエの市川恭也が、東京からひょっこり帰ってきた……

『ブラック・アゲート』
> 上田早夕里著/鈴木久美装幀
> ISBN-13: 978-4334928063
> 光文社
> 1700円
> 2012.2.20発行
 日本各地で猛威を振るうジガバチの変種アゲート蜂。人間を含むほ乳類に寄生し大繁殖するこの蜂は、羽化する際に命を奪うばかりではなく、蜂の出す毒素により脳障害が起こり患者が凶暴化することもあるのだ。そしてそれは蜂症(AWS)と呼ばれた。
 瀬戸内海にうかぶ鰆見島でも、初めてアゲート蜂による死者が出る。病院で事務長として働く暁生の娘・陽菜も検査の結果アゲート蜂の寄生が陽性と出てしまう。現時点では幼虫を確実に殺す薬は手に入らないため、暁生は娘と共に、未認可の新薬を扱っている本土の病院を目指して島から出ようとするが、村綺を隊長とするAWS対策班が島に向かっていると知り慄然とする。AWS対策班は、アゲート蜂に感染した患者を封じ込めるためには撃ち殺すことも辞さないのだ。

『生命と地球の歴史』
> 丸山茂徳・磯崎行雄
> ISBN-13: 978-4004305439
> 岩波新書
> 660円
> 1998.1.20発行
 巨大隕石の落下が相つぎ、大気、核、マントル、海洋がつくられていった初期地球。中央海嶺上で熱水から栄養をもらって誕生した生命。変動する地球と生命とは、密接な関係をもちながら現在まで歴史を刻んできた。プルーム、プレートの両テクトニクスと古生物学などの学際的な最新研究が描き出す、地球46億年、生命40億年の新たな変遷像。

雀部> 今月号の著者インタビューは、2月に『ブラック・アゲート』を出された上田早夕里先生です。
 ご著作が出るたび毎回お世話になっています。著者インタビューもこれで五回目なんですね。
上田> 過去ログ、いまでもよく読まれているみたいですね。渡邊利道さんの評論でも参考文献になっていました。
雀部> そのようですね、うれしいなぁ。
 おっと、言い忘れるところでした(汗;)
 日本SF大賞受賞おめでとうございます。小松左京賞作家で、日本SF大賞受賞は、上田さんが初めてですね。
上田> ありがとうございます。いまでも、「あれは夢やったんとちゃうか」と思うぐらい、まだ実感が湧きません。どさくさに紛れて、萩尾望都さんとは握手をしてきましたが(笑)
雀部> 萩尾望都先生、SF作家の間での人気度は凄いですね。
 昨年の12月に出た『菓子フェスの庭』は、『ラ・パティスリー』の続編の感もあって懐かしかったです。夏織嬢も、中堅パティシエになっていて、なかなか頼もしくなってましたね。『ラ・パティスリー』('05)の五年後ということで、ほぼ時間経過も一緒ですね。これは当時から続編の企画が出ていたんですか。
上田> いえ、最初は単発の予定でした。
雀部> そうでしたか。ということは前作の評判が良かったんでしょうね。
 お菓子が苦手で、菓子フェスを任される武藤君が良い味出してますね。
上田> 読者の反応をリサーチしていたら、「自分はお菓子が好きじゃないからこの作品のよさがわからない」っていう意見があって、面白いなあと思ったんですよ。それで、作品づくりに応用させて頂きました。
雀部> そうだったんですか。私もケーキ類はそれほど得意じゃないので、武藤君の感覚には同意できる部分があって、頷きながら読んでました。
 作中で、お菓子大好きの緒方麗子嬢が、お菓子が苦手だと及び腰の武藤に「人間の体には、生まれつき糖類を分解できる機能が備わっているんです。舌に甘味を感じる細胞があるのは何のためだと思っているんですか」と理詰めで迫るシーンが面白かったです。あそこ、上田さんご自身が入ってませんか(笑)
上田> 「登場人物に自分を入れる」というのは、よくわからないんですよね。自分を入れて読むのは読者側の楽しみで、作家側がやることじゃない。自分にとって作品内の登場人物は、「作家お抱えの劇団の俳優」みたいなものなんですよ。作家が提供できるのはプロットとシチュエーションだけで、あとは俳優側の解釈で勝手に演じている――みたいな。
雀部> はい。
 読ませて頂いてお菓子の道も深いんだなと。劇団と俳優のお話がでましたが、お菓子のレシピが脚本とすると、パティシエは演出家でしょうか。同じ俳優さんが同じ本を元に舞台をやるにしても、演出家が違えば内容はかなり違ってきますよね。シェイクスピアのような古典でも現代的な解釈で別物の芝居になるような……
上田> ああ、それは、とても適切な喩えですねえ。
雀部> 武藤君が、“人間の相性とは、両者が相似形であることではなく、お互いの違いが、うまく噛み合うことを言うのではないか”と考えるところがありますが、これ『ゼウスの檻』にも出てきたような気がします。ということは、恭也と夏織は割と似ているので、武藤君にもまだまだチャンスがあるなと。 ←応援してます(笑)
 『ラ・パティスリー』は、ちょっとミステリ仕立てでしたが、今回はパティスリー蘊蓄本といっても過言ではないですよね(笑)
上田> 『ショコラティエの勲章』のあとに再度依頼があったとき、角川春樹社長から「ミステリ要素を全部外して欲しい」という要請があったんですよ。社長の希望が「グルメシリーズを立ち上げる」だったんで、この時点で完全に方向転換しました。版元さんから要請があれば、それに合わせて納品するのがエンタメ系では普通なんで。
雀部> なるほど。
 ということは、今回出された『ブラック・アゲート』もそういう要請の元にお書きになったんですか。
上田> 『異形コレクション・心霊理論』に「くさびらの道」を書いたとき、光文社の編集さんがとても喜んで下さって、こういう作風の長篇をぜひ欲しいという話になったんですね。ただ、これは「くさびら〜」を長篇化してくれという意味じゃなくて、あくまでも新作長篇が欲しいと。それで、具体的にどういうものがいいんでしょうか? って編集さんにお訊ねして、最終的に「恐怖を与える《何か》と、それと闘う家族の愛」みたいなところに落ち着いたんですね。そういうものを、幻想路線じゃなくてリアル路線でやろうと。
 2009年の4月(短篇集『魚舟・獣舟』が出た直後)に最初のプロットを編集さんに送って、その時点で、作品の概要はほとんど決まっています。ただ、間に『華竜の宮』『リリエンタールの末裔』『菓子フェスの庭』があったので、2012年まで発刊がズレ込んで……。
雀部> 「くさびらの道」はとても評判良いですよねぇ。SFファンはみんな好きなんじゃないかな(笑)
 『ブラック・アゲート』を読ませて頂き、リアル路線というのは確かに感じました。
 「恐怖を与える《何か》と、それと闘う家族の愛」のほかに「社会 vs 家族」というのは想定されていたんですか。
上田> そのあたりは、「社会」というものをどう考えるかによりますよね。対社会という発想をすると、いまは、ものすごく息苦しい時代でしょう。ちょっと迂回して横のつながりで見たほうが、まだ息をつげるというか……。対立構造で見るのは、とても危ういんじゃないかと。
雀部>  う〜ん、対社会というか、対国(組織)というか。先日の国会中継を見ていたら、舛添議員が「パンデミックの際には、何が何でも従わせるというのじゃなくて、現場の医師の裁量に任せるべきだ」と発言されていて、「ああ!」とか思ってしまいましたので。
 治療法の確立してない病原体が相手の場合、基本は患者隔離しかないのは本当なんですけどね。ワクチンがまだ無いインフルエンザが流行しだしたら、それこそ診察の段階から一般患者と別にしなくてはいけないし(一般的には陰圧テントの設置でしょうか)
 この本では、国の施策は「AWS対策班」が象徴的な存在ですよね。総てが後手後手にまわっているところなんか特にそう(笑)
 上田さんが、発病までの時間的なリミットとは別に、AWS対策班を出されてきたのは、上から押しつける割には後手に回りがちな国の対策法に危機感を持たれているのかなと思ったわけです。
上田> 家族というのは、社会の最小単位だと思うんですよ。家庭内にも権力構造はあるし、容易に暴力が発生する構造になっています。そういう要素を内包しているものは社会と呼ぶべきだと思うんですね。社会という言葉をどう考えるのか、というのはそういう意味です。家族だから安心、家族だから信頼できる、と描くフィクションはたくさんあるけれど、現実にはそうとも限らないって、みんなもうよく知っている。だから、書き手としてそれをどう考え、自分の作品にどう反映させるかで、小説の内容も変わるわけですよね。正解はありませんから、理想の家族を描くことで何かを表現したい人もいるし、その逆もある。
 私の場合は、社会 VS 家族 という発想はしません。社会 VS 個人ならあり得ますが。これを一番率直に書いたのが「小鳥の墓」です。
雀部> そこらあたりは、以前のインタビューにおいても、“〈個〉が〈個〉であることを徹底的に貫く物語を書きたい作家です”とおっしゃられているので、そうなのかなという認識はあるし、『火星ダーク・バラード』でも、戦っているのは〈個人〉ですし。
 でも〈個〉が〈個〉であるためには、絶対的に〈他者〉も必要なので、他者=他人だけではなく〈家族〉という存在もあると。重要な存在であるが故に「くさびらの道」で登場人物たちが見る幽霊のほとんどが家族なのでしょう。『火星ダーク・バラード』でも『華竜の宮』でも、〈家族の不在〉が、かえって〈家族〉というシステムを意識させているのだなと感じたのですが(全然出てこないわけじゃありませんが)
上田> 私の既刊を読んで「この作者は家族が嫌いなんじゃないか」と仰った方がおられるんですが、それはちょっと違うというか、つまり家族というのは、好きだとか嫌いだとかいう以前に、身をすり減らしてでもつき合わざるを得ない状況なんかもあるわけでしょう。そういうことを綺麗な言葉で美談にしたくないだけなんですよ、自分の経験上。
 家族というのは確かに社会の一形態なんですが、簡単には「抜けられない」ものでもあって、そこが重くもあり、煩わしくもあり――仕方ないなあとつき合っているうちに、根源的な愛について学んだり、人間の本質を知る場にもなり得るわけですよね。私の場合には、〈不在〉というよりも、かつて存在したものや誰かにとって理想だったものが〈壊れる〉〈失われる〉という形が最初にあって、そこが登場人物の出発点になっているんじゃないかと思います。
雀部> “〈壊れる〉〈失われる〉という形が最初にあって”というあたりも、SF的というか、上田さんらしいですね。
上田> AWS対策班は、読者によって捉え方が違うと思うんですが、自分では「社会と個人の狭間に立つもの」として書きました。国や政策の象徴ではないんですよ。作中でも書いていますが徒花です。一瞬だけ咲いて、一瞬で消える。虚しい存在ですよね。社会と個人の両方から石を投げられる損な役回りなんですから。でも、そういうところへ(事情があるにせよ)流されてきて吹き溜まって、黙々と行動している人たちに私はとても興味があって、小説を書くときに、こういう部分を必ず入れたいし、忘れたくないんですよね。
雀部> たしかに徒花なんですが、村綺はもう一人の主人公(象徴的な存在)ではないかと感じました。AWS末期の兄を殺してから、彼の心はどこか壊れてしまっていますよね。AWS対策班としての激務を果たすことで、それをなんとか封じ込めようとしている。すがることの出来る希望があった暁生・陽菜に比べて、彼の場合どちらを選んでも地獄へ通じる道しか残されていなかった。これはSFならではの―極限状態における人間の心理と行動を描く―設定と展開だと感じました。
上田> そういう部分をSFとして読んでもらえるのは、とてもうれしいですね。普通は、人間ドラマとして読まれる部分ですから。
雀部> 3・11以後、日本人の心は疲弊してしまい、自ら考えることを放棄した人が増えているように感じています。とかく声の大きい人の考えが正しそうに見えることが多いのですが、『ブラック・アゲート』のラストでも、情報を取捨選択してたどり着けた人だけが、治療を受けられると聞かされます。情報が溢れかえってる現代で、自分の頭で考えることの大切さを示唆していて締まったラストになってますね。
上田> 自分では、いま雀部さんが仰ったようなことは考えていませんでした。ただ、この作品の結末は、お読みになる方によっては、随分厳しいものに感じられるのではないかという自覚はあります。
 エンタメ小説には嘘がつきもので、場合によっては、嘘をつけばつくほど面白くなることもあります。設定や展開上の嘘はどんどん書けばいい、でも、思想上の嘘は書き手の判断が分かれるところです。作品ごとに個別の判断が必要です。
 作家になる前の職歴や自分の体験から、私は、この作品には、思想上、嘘をついてはいけない部分があると考えました。偽りの希望を甘い言葉で語るよりも、救いが見えなくても選択し続けるしかないのが人間だと――。それは《3.11以後》という事柄とは無関係で、むしろ、私の作品というのは、いつも、こういうものばかりのような気がするんですよね。
雀部> その選択によって、村綺のように心が壊れてしまうことがあってもですね。
 もし、首都圏や東海地方ではAWSの制圧に成功していて、外部から感染者が入り込むことは非常にリスキーな行為であったなら、暁生・陽菜の親子はどうしたのだろうかと考えてしまいました。やはり、娘のために島を脱出したのではないか。SFでは、「たったひとつの冴えたやりかた」という感染を扱った名作中編がありますが、この作品は同時に「たった一人の冴えたやりかた」でもあるわけで、親御さんが近くにいたなら、どういう展開になっただろうと夢想してしまいます。
上田> 親としては絶対に行くでしょう。そのモチベーションは、作中で書かれているものと同一ですから。
 ティプトリーの場合は、「親御さんも一緒に××する」かもしれませんね。彼女の実人生での選択を想うと、そんな気がします。
雀部> 確かに他に道がなければ、一緒にそうなるのかも知れませんね。また同時に、AWSに感染した頭の良い子供が一人で考えたなら、『ブラック・アゲート』も「たったひとつの冴えたやりかた」のような展開になった可能性もあるわけですね。
 この本の中で暁生が村綺のことを思い出しながら“あの残酷な貌の裏側にだって必ずあったはずの、人間らしい側面について語ることのできる人が、どこかに確実にいるのだろうか”と考えるシーンが出てきます。本作の中だけなら、それは村綺の家族だと思いますが、もう一方で『華竜の宮』のラストのように「村綺は全力で生きた。それで十分じゃないか」と言い放つこともできます。
 亡くなった人のことを語るというと、SFでは『死者の代弁者』という傑作があります。しかも敵である蜂タイプの異星人(窩巣女王)についても語る、おっとここで『ブラック・アゲート』と繋がりましたね(笑)
 今現在も絶滅危惧種と呼ばれる生き物は沢山居ますが、彼らが絶滅したとき代弁するのは誰なのか。代弁しなくても十分なのか。人間も動物の一種類に過ぎないと考えるなら、人間だけ後世に語り継がれることを望むとしたらそれは思い上がりなのではないか。上田さんの作品は、その間で揺れ動いているように感じました。
上田> 歴史というものを考えるとき、地球上には、ふたつの流れがあると思うんですよ。ひとつは人間の歴史です。どこの誰が何をして人間はどんな社会を作ってきたか――。普通、歴史という言葉を聞けば、大半の方は、こちらを想像しますよね。
 でも、それとは別に、「地球史」というものもあるわけです。これは自然科学が扱う歴史です。科学の分野には「全地球史解読」というプロジェクトがあって、これは、地球そのものの物理的状況や構造を、生物の分布や活動まで含めてひとつのシステムとして考え、その歴史(経緯)を解読していくという学問です。
 私たちの「歴史」は、このふたつが分かちがたく絡み合って成立しているわけで、私はSFに軸足を置いている作家ですから、何を書いても、いつも、このふたつの視点が同時に気になるんですよね。
雀部> それはSFファンも気になりますね、「全地球史解読」。なにかで紹介されていて、アマゾンで見たことはあるんですが、なんせ高かったので未見です(汗;)
上田> それはたぶん、丸山茂徳さんと熊澤峰夫さんが編集しておられる『プルームテクトニクスと全地球史解読』(岩波書店)ですね。岩波の「科学」に掲載された記事をまとめた大判の本で、図版や写真が入っているので高価なんですよ。コンパクトに全容を見るなら『生命と地球の歴史』(岩波新書)がお勧めですね。こちらは新書なので手に取りやすいですよ。
雀部> おっと、新書もあったとは。
 なるほど、こういう本を読むと現在威張っている人類の存在が、地球規模で考えるといかに矮小なものかよくわかりますね。
  (次号へ続きます

[上田 早夕里]
兵庫県生まれ。神戸海星女子学院卒業。2003年「火星ダーク・バラード」で第4回小松左京賞を受賞してデビュー。2011年『華竜の宮』が第32回日本SF大賞を受賞。
著書に、『ゼウスの檻』『ラ・パティスリー』『ショコラティエの勲章』『リリエンタールの末裔』『美月の残香』『魚舟・獣舟』など。
[雀部]
ますます作風を広げられた上田さん。また、良い意味で読者を裏切る新境地を期待しております。

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