Author Interview
インタビュアー:[雀部]
『空間は実在するか』
  • 橋元淳一郎著
  • 集英社インターナショナル新書
  • 840円
  • 2020.12.12発行

【第1章 相対論がわかれば、時間と空間の不思議がわかる】

【第2章 光速で動けば時間は止まる】

【第3章 さらに不思議な一般相対論】

【第4章 空間と時間の哲学的考察】

【第5章 物質と生命の狭間】

【第6章 生命と時間の流れ】

【第7章 物質が空間を作り、生命が時間を創る】

《SFサイエンス・エッセイ 科学と哲学に関するつぶやき》
  • 第1巻『プラトンのどうくつ』
  • 第2巻『エピキュリアンの夢』
  • 第3巻『デカルトの亡霊』
  • 第4巻『幻想の永劫回帰』
  • 第5巻『モナドあるいは唯識』
  • 第6巻『主観というブラックホール』
  • 第7巻『神と科学の退場』
  • 第8巻『超知性原理』

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(『空間は実在するか』著者インタビュー前編はこちら
雀部 >

あと、橋元先生の“我々は、人間であるということを離れて、あるいは自分自身の主観と自己意識を離れて、世界を理解することはできない”というのもストンと胸に落ちました。

もうひとつ、本書の主要キーワード“イリュージョン”がありますね。“時間と空間はイリュージョンである”という見識は、西田先生(ヘラクレイトスの立場)の“ピュシス(自然)は隠れることを好む”と相通じるのではないでしょうか。

橋元 >

なるほど。素晴らしい発想ですね。言われてみれば、そうとも言えますね。

雀部 >

私は、印象だけで言ってます(汗;)

これはつい最近知ったのですが、「虚時間」という概念は実際に導入されているんですね(実のところ分かってませんが^^;)「慶大、3空間次元+1虚時間次元の『4次元相転移』を現実の液体ヘリウムで実現」という記事に出てきます。虚時間軸という概念を導入すると絶対零度付近での液体ヘリウムの超流動が上手く説明できるのかなと(???)

(記事中の“BEC”はSFファンにはお馴染みの「ボース=アインシュタイン凝縮」です。略号で書かれるとわからない^^;)

この“虚時間次元”というのは、橋元先生が“誤解を恐れずに言えば、時間が虚数になるということは、基本的には時間が空間に変わると言うことである”(第2章「光速で動けば時間が止まる」)と書かれていることと関連しているのでしょうか。虚時間が第4次元に変わるとか?

橋元 >

虚時間は最近、いろいろなところで登場しますね。この相転移のことはぼくもよく分かりませんが、基本的には空間は虚数、時間は実数というぼくの解説の延長線上のものなのではないでしょうか?

雀部 >

そういう気もしてるんですが、正直なところよく分かってません(汗;)

本書の中で度々出てくる「ア・プリオリ」(先験的。カントが『純粋理性批判』で“時間と空間は感性による直感に過ぎない”とした)は、ちょっと東洋的でもありますね。「色即是空、空即是色」の概念と似てる気がします。

橋元 >

「色即是空、空即是色」の本当の意味をよく理解していないので何とも言えないのですが、個人的にはカントの「ア・プリオリ」という概念の方が合理的なように思います。

雀部 >

おっとそうなんですね。(“ア・プリオリ”に関しては橋元先生の論文「時間と生命」参照)

一昨年くらい前に仏教の入門書を読んで、泥縄で得た知識なので間違っているかも知れません(汗;)

『デカルトの亡霊 科学と哲学に関するつぶやき 3』で、“時間と空間は、人間の理性が理解する実体であるが、それは真の実体ではない。つまり、時間と空間は、人間の「理性」が「ア・プリオリ」(先天的に)に持っている実体なのである。”とあって、納得したところではあります。

ということで、『SFマガジン』(1999〜2005)に連載した、SF的科学エッセイ『プラトンの洞窟』を単行本化した『プラトンのどうくつ 科学と哲学に関するつぶやき』(Kindle版)を読んでますが、プラトンも凄いですね。まあ有名な哲学者はみんな凄い天才ばかりですけど。有名な「プラトンの洞窟」の壁に映った人形の影の例えは、そのまま橋元先生の“時間と空間はイリュージョンである”に通じますね。

橋元 >

そうですね。ぼくは観念論者ではありませんが、プラトンにはとても魅力を感じています。「洞窟」の話を初めて知ったときには、発想の凄さと分かりやすさに感動してしまいました。

雀部 >

いや全くその通りです。『幻想の永劫回帰 科学と哲学に関するつぶやき 4』にも書いてある“人間は、自分の主観を通してしかこの世界を見ることはできない。だから、この世界の客観的な姿など、我々は決して知ることはできない。”というのもよく分かります。

私は初めて知ったのですが、『エピキュリアンの夢 科学と哲学に関するつぶやき 2』で考察されているエピキュリアンの快楽主義とは、「欲望には際限がないがゆえにこそ、節制された静謐なる快楽こそが最高の善である」ということなんですね。あと「すべての善の根源は胃の腑の快楽である」というのには激しく同意します(笑)

橋元 >

エピキュリアンも、ぼくの好きな言葉のひとつです。

エピクロスの快楽主義は、なかなか実行できませんが、理想の人生哲学だと思っています。

雀部 >

古いと思われる哲学であっても、天才たちの言葉からは今でも得るものが大いにありますね。

『モナドあるいは唯識 科学と哲学に関するつぶやき 5』では“東洋を観ずして非合理主義は語れず”ということで、いよいよ仏教に代表される東洋哲学に入っていきます。

“西洋哲学と科学は、古代ギリシャという同じルーツをもつ思想である。その根本は、一言でいうとロゴスと合理主義である。”とありますが、宗教問題・温暖化を含む環境破壊等々至急に解決すべき事案に対応しきれてないですよね。

橋元 >

まったく対応出来ていないですね。西欧合理主義は完全に行き詰まったと思います。

今こそ東洋哲学の出番だと思うのですが、ではそれはどう世界を変えるのかと問われると、まるで読めません。“知の指導原理”こそそれだと思うのですが、では具体的に何なのか、難しい問題です。

雀部 >

「人類の知の指導原理」は、呪術→宗教→科学と変遷してきて、現代は科学が“知の指導原理”の座にあるわけですが、自然に抗い克服することを是とする科学技術の進歩は、同時に新たな紛争の種を作り出している気がしますし……。(橋元先生の「知の指導原理」関連の論文を参照)

超AIによる人類統治を人間が受け入れる可能性はあるのでしょうか。

橋元 >

何とも言えませんね。素直に受け入れるはずはないでしょうが、超AIが人類をはるかに凌駕したものであるなら、受入れざるを得ないでしょうね。

雀部 >

『超知性原理 科学と哲学に関するつぶやき8』で、橋元先生がこれから起こるであろうカタストロフをあげていらっしゃいますが――戦争、流行病、環境破壊、異常気象etc――どれも大なり小なり現在進行中の事象であるところが怖いです。たぶん全部が相互に関連している気がしますし。孫たちが成人する頃にはどうなっているか……。

橋元先生は、ハードランディングとソフトランディングの二つの可能性を示唆されていますが、ぶっちゃけどちらの方が、人間は受け入れやすいんでしょうね。

橋元 >

これも何とも言えません。どのような結末が待ち受けるのか、僕の想像力の範囲を超えています。

雀部 >

どちらにしても、先に待っているのは滅亡だったりして(汗;)

《科学と哲学に関するつぶやき》シリーズを読んでいて、橋元先生は最初にインタビューさせて頂いた頃から、新たな“知の指導原理”の重要性に着目されていたことを思い出しました。『空間は実在するか』は、この“知の指導原理”の追求線上、若しくは併走する線上にあるのではないかと感じました……。

新たな“知の指導原理”を脳の改変によって得るとしたら、その脳がミンコフスキー空間の非因果領域をある程度知覚できるようになるのではないかと妄想してます。そうして未来や過去の選択肢を緩やかに知覚できるとしたら。

橋元 >

SFとしては非常に面白いですね。脳の改変がミンコフスキー空間の非因果領域に踏み込めるためには、とんでもない発想の飛躍が必要かと思いますが……。

雀部 >

人間としての物質的な実体が無くなればいける?←幽霊か(笑)

橋元先生も“「生きる意志」は、らせんを描いて時間軸上を進む”で、“生命は情報の亡霊のようなもの”とおっしゃってましたし。(橋元先生の論文「ミンコフスキー時空と主体的意思」参照)

あと、福岡伸一先生の『福岡伸一、西田哲学を読む』のなかで、“生命は絶えず合成と分解を行っているが、合成に先立って分解が行われることが重要だ”と書かれています。このある物質が合成されることを予測して老廃物を分解するという行為は、生命体の中での微少な時間の揺らぎに当たるのでは無いかと妄想したんですよ(笑)

橋元 >

なるほど……。それは面白いアイデアですね。SFになるかな?

雀部 >

実は、私はこのネタのSFショートショートを書こうとしたことがあるんですよ。

「なぜ我々は過去からの光しか見えず、(理論的には存在するはずの)未来からの光を見ることはできないだろうか?」の疑問のところで、「死の瞬間、我々は未来からの光を見るのかもしれない。」と記されてますが、別の理屈づけで書こうとしてました。

それは、「死の瞬間に未来が見えたとしても、その未来を変える行為を出来ない状態であるならば、タイムパラドックスは起きない」と思ったからです。 

橋元 >

先を越されました。ぜひショートショート書いて下さい(笑)。

雀部 >

それで書けるなら苦労しませんが(汗;) 橋元先生にお任せします(笑)

文化人類学者の野村直樹先生の提唱されている、マクタガードの時間系列を敷衍したE系列時間というのも面白いですね。

オーケストラの演奏に例えられていますが、これは奥様が音楽家でご自身もバイオリンを演奏される橋元先生ならではで、よくわかりました。(指揮者と演奏者と聴衆のそれぞれ時間、参加者全員に共通する客観的時間、共通の楽譜、演奏者・聴衆・楽器・まわりの空気まで調和し、同調した生きた時間)

確かに、今の所人間にしか体験できない環世界の実例として相応しいかもです。個人個人が自宅で音楽を聴くという行為は、この環世界(E系列時間)を追体験(または仮想体験)しようとしているのかも知れませんね。

橋元 >

そうですね。野村先生のE系列時間は、物理学のような自然科学的発想では絶対に出てこないものですね。たしかに自然科学は観測される事実を重視しますが、しかしそれがすべての真理かと言えば、そうではないんですね。測定器では測れないものの中に真理がある。もちろん、それは科学的な証明など出来るものではないのですが、人間の知的活動を意味あるものにするには、そういう考え方が必要だと思います。

雀部 >

測定器では測れないものの中に真理があり、それが人間の知的活動を意味あるものにするというのは大変含蓄のある言葉ですね。(橋元先生他の論文「E系列の時間とはなにか」参照)

映画『メッセージ』(「あなたの人生の物語」原作テッド・チャン)で、主人公の言語学者は、異生命体が使う時間的な順序が存在しない絵画のような言語を習得することによって“時間というものは人間世界のルールに過ぎない”ということに思い至りますが、これも人間のルールを外れたところにも真理があるかもしれないということを示唆していますね。

『空間は実在するか』は、橋元淳一郎先生の時間論の現時点での集大成であると同時に、生命と時間の関係性の優れた考察になっていると感じました。

今回は、お忙しいところインタビューに応じて頂きありがとうございました。

さらなる空間・時間・生命の理解を深めるご著書を期待しております。

橋元 >

こちらこそ、ありがとうございました。

おかげさまで、久しぶりにSFワールドに浸ることが出来ました。

最後にちょっと宣伝させて頂きます。

2022年1月より「ハッシー熱血ワールド」(仮題)をヴァーチャル空間で開園致します。皆さまのご来園をお待ちしております<m(__)m>。

注:「ハッシー熱血ワールド」に関しては「Hassy's Lab.」を参照してください。

[橋元淳一郎]
1947年、大阪府生まれ。東進ハイスクール講師、SF作家、相愛大学名誉教授。日本時間学会会員、日本SF作家クラブ会員、日本文藝家協会会員、ハードSF研究所所員。京都大学理学部物理学科卒業後、同大学院理学研究科修士課程修了。わかりやすい授業と参考書で、物理のカリスマ講師として受験生に絶大な人気を誇る。著書に『時間はどこで生まれるのか』(集英社新書)『シュレディンガーの猫は元気か』(ハヤカワ・ノンフィクション文庫)などのほか、参考書『物理橋元流解法の大原則』シリーズ(学研プラス)など多数。
橋元淳一郎ブログ『ハッシー君の隠れバー』
[雀部]
1951年生。歳を取ると何もしないうちに次の年が来る気がするというのを実感中。
やはり人によって、また年齢によって時間の流れる早さは違うのではないでしょうか。
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