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シャンダイア物語

第五部 守りの平野
第四章 第一の島 短剣の試練

福田弘生

 ザイマン人の船乗り達が乗った船を小さな桟橋に残して、セルダン達は浜辺の近くまで迫っている森の中に入って行った。そこには馬が二頭並んで通れる程の平らで柔らかい道があり、北の果ての島にしては不思議なくらいに明るい緑色の草とクリーム色の土が、ホッとさせる温かさを感じさせている。ボスボスと重たい蹄の音をたてて馬を進めていたブライスがマルヴェスターに尋ねた。
「誰がつくった道ですか」
「道はクラハーン神だよ。しかしこの島と舞の座をつくったのはアイシム神とバステラ神だ」
 ブライスは驚いた。
「そうだったんですか」
 ブライスの横にいたスハーラが、子供の頃に習った事を思い出すように説明した。
「創造の二神がこの星をおつくりになった後、最初にこのシムラーに降り立ったの。その時にはまだ天の座と呼ばれる中央の島しか無かったそうよ。二神はまず島の南側のここに土を投げて島をつくり、その島の中央に舞の座を設けた」
 ベリックが興味を示した。
「僕がこれから行く所だ。そこで神は何をしたの」
 スハーラはニコリとした。
「踊ったのよ。二神が大地を踏みしめる鼓動に反応して大地が回り出したの」
「ええっ」
「そう。続いて他に五つの島をつくり、それぞれ星の活動に必要な儀式を行ってこの星の生き物の営みが始まったの」
 クラハーン神の神官デクトが、久しぶりのシムラーの空気を嬉しそうに吸いながら言った。
「この第一の島が、この星のすべての始まりの島なのです」

 その道をしばらく行くと踏み固められた土の広場があり、道はその広場を中心に十字路になっていて、中央に二階建ての立派な造りの屋敷が建っていた。剣の守護者のセルダンが皆の前に馬を進めた。
「この屋敷は何ですか」
 デクトが外壁に汚れ一つ無い綺麗な建物を見上げた。
「来客用の休憩所です」
「ここに来客なんてあるの」
「はい、でも百年に一人といった程度でしょうか。シャンダイア王家の末裔の方だったり、マルヴェスター様達翼の神の弟子だったりです。それから黒の神官の総帥ガザヴォックが一度」
「ええっ」
「マルヴェスター様と二人でおいでになりました」
 皆は仰天してマルヴェスターを見た。マルヴェスターは大した事でも無いという顔をした。
「あいつと話し合うには、ここが適当だったんだよ。邪魔は入らないし、クラハーン神には闇の特性もあるしな。だが何も話せなかった。二人で向い合って座った時にお互い気付いたんだ、その時点では同じ方向は向けんとな」
 ブライスが馬から降りて尋ねた。
「それでどうしたんですか」
「何も。酒を飲んで別れた」
 そう言うとマルヴェスターはさっさと屋敷の前に乗り付けて、アーヤを抱いたまま器用に馬を降りた。
「何をしておるんじゃ。入るぞ」
 ブライスがうさんくさそうに屋敷を見た。
「大丈夫ですか」
「おまえさん達は聖宝の守護者だろう。ここはその総元締めの神が支配する島だ。この星の上のここで休まんでどこで休む。ベリック、お前も休んで行け。ここから先は体力も精神状態も万全で行かねばならない」
 皆は馬を降りた。セルダンが手綱を引いて馬を繋ぐ場所を探していると、デクトが他の馬の手綱を外しながら言った。
「必要ありませんよ。馬は逃げませんから」
「ああ、そうなの」
 セルダンも手伝ってすべての馬の手綱を外してやった。八頭の馬は楽しそうに跳ね回った。ブライスが見るからに重たいスゥエルトを見てうなった。
「太り過ぎだ」
「あなたもそうよ」
 スハーラがブライスの耳を引っ張りながらそう言った。そして几帳面な巫女は屋敷に入る前に周りを少し調べて、裏に井戸がある事を確認した。
 最後に残ったベリックは、やはり残ったデクトに尋ねた。
「僕達は天の座の周りの六つの島を、どう巡って行くの」
 デクトは屋敷に向かって右の方角に続く道を指差した。
「左回りです。島と島を繋ぐ橋がかかっていますので、順番に島を巡って行きます。六番目の最後の島から中央の天の座がある島への橋がかかっています」
 ベリックは左側の道を見た。
「左に行くとどこに行くの」
「最後の島ですが、この島と最後の島の間は、現時点では橋がかかっていません」
「なる程。かかる時があるわけだ」
「クラハーン神のご意志のままに」
 一行は思い思いに屋敷の周りを調べると、中に入って行った。

 屋敷の入り口の大きな扉を開けると、窓に明るいカーテンがかかった広い食堂があった。中央には大きなテーブルが置いてあり、部屋の奥には二階への階段。階段の下にはさらに奥への廊下がある。マルヴェスターは迷わずに奥の階段を登ると、二階の寝室のベッドにアーヤを寝かせた。そして少女の白い服の襟についた汚れをそっとぬぐって、後ろに付いて来たスハーラにボソリと言った。
「わしの服は汚いな。こんな姿で抱いていたなんて、アーヤが起きて知ったら怒るだろう」
 優しいスハーラが微笑んだ。
「マルヴェスター様は船の中でひどい状態でしたから。脱いでくださればベリックが舞の座に行っている間に洗っておきます。裏に井戸がありましたので他の皆の服も洗いましょう」
 セルダン王子と、すでにマルバ海で父王が死に、自分が王になっている事を知らないブライスはいつも通り食堂の椅子にどっかりと腰を降ろした。デクトは二階の奥にあるこの屋敷の自分の部屋らしい部屋に入った。
 ベリックを従えたエルネイア姫は、食堂の奥にある台所を覗いて歓声をあげた。新鮮な肉と野菜と果物がたくさん置いてあったのだ。
「すっごい、すっごい。ベリック、男共はどうしてる」
「すでにテーブルについて椅子に座り込んでます」
「よろしい、だらしの無い騎士達に私の料理を食べる栄誉を与えてあげましょう」
 ベリックはちょっと驚いた。
「エルネイアさんって、料理するんですか」
 エルネイアは不思議なくらいに大きくて丸い目玉をクリクリさせた。
「あら、もちろん作るのなんて初めてよ」
 ベリックは壁にかけてある磨き抜かれた鍋と食器を見て言った。
「あの、スハーラさんを呼んできましょうか」
 エルネイアの目が不吉な光を帯びた。
「なぜ」
「あ、いいえ。でも、スハーラさんじゃなくても、セルダン王子もブライス王子も旅慣れしていて、それなりに料理が出来ます」
「あたしがセルダンよりも料理が出来無いって事を言いたいわけね。よろしいバルトール王、セントーンの姫を侮辱したんだから、これは国際問題になるわよ」
「そんなおおげさな」
「和解を求めるなら料理の手伝いをなさい」
 少年は肩をすくめた。大人の女性の気まぐれに付き合える程、ベリックは大人では無い。
「はあい」
 そこに薄い草色の服に着替えたスハーラが入って来た。
「食材まであるのね。驚きだわ」
 スハーラは野菜と肉を手に取ると、そそくさと料理の準備をはじめた。不服そうな顔をしたエルネイアにスハーラが微笑みかけた。
「二階の寝室に女性向けの着替えがあったわよ。その服を脱いで裏の井戸の横の桶に入れておいて。あとで洗濯するわ」
 エルネイアの瞳が輝いた。
「そうなのよ、この服が臭うの。私の服が臭うなんて信じられないわ」
「デクトに聞いたら、台所の裏にある浴場の湯船にはすでにお湯が張ってあるそうよ」
 エルネイアは何も言わずに駆け出した。
 ブライスと他愛も無い話をしていたセルダンは、台所から走り出て来たエルネイアが階段を二階に駆け上り、しばらくして脱いだ服と着替えを抱えて裸で降りて来るのを見て仰天した。
「エルッ」
「先に食事してていいわよ」
「そうじゃなくって」
 エルネイアは履いていたかかとの高い靴を、セルダンに向って蹴るようにして放り出すと、まっすぐに浴場に続く廊下に駆け込んだ。セルダンは目を白黒させながら背を向けた。ブライスは器用に体を曲げて目をそらしていた。
「ええっとブライス。女の子って時々」
「わかってるって、気にするな。今の俺には台所からのうまそうな香りのほうが重要だ」
 やがてマルヴェスターとデクトがやって来て食堂の席に着くと、スハーラとベリックがお盆に載せた料理を運んで来た。次々に運ばれて来る皿を見て、ブライスが至福の表情を浮かべながら近くに来たベリックにささやいた。
「俺とセルダンのどっちの選択が正しいと思う」
「えっ」
「もしお前ならスハーラとエルネイアのどちらを選ぶかって事だ」
 ベリックはちょっととまどった。
「そうだなあ」
 そこに体にタオルを巻いて輝く金髪をキラキラと水で光らせたエルネイア姫が現れた。そのこの世の者とは思えない程の美しさに、デクトまでもが息を飲んでうめくように賛嘆の声をあげた。エルネイアは掌の上の白い泡を皆の前に突き出して勢い良く言った。
「すっごいわよ、お風呂。お湯がどんどん出てくるの。それにこんなに泡が出る石鹸は初めて見たわ。デクト、一個持って帰ってセントーンで製造していいかしら」
「ええ、持って帰るのはかまいませんがおそらく製造出来ないでしょう。何しろクラハーン神が魔法で作り出したものですから」
「あら、アーヤが意識を回復させたらクラハーン神を呼べるようになるんでしょう。アーヤにはソンタールを倒して女王に即位する日までセントーンに住んでもらうわ」
「そんな強引な」
 エルネイアは左手でタオルの胸のあたりを掴んで、右手で髪の毛をつまむと口元に寄せた。その魅力的な仕草にデクトは降参した。
「アーヤ様ご自身がそうおっしゃれば誰にも止められません。でも今度の戦いに生き残ってセントーンが安全だと確認されてからの話ですが」
「もちろんよ」
 それを見ていたセルダンがつぶやいた。
「アーヤはたぶん大人になったら、エルみたいな女性になるんだろうなあ」
 皿を並べ終えたスハーラがパンと手を叩いて宣言した。
「殿方、先にお食事をどうぞ。私もエルと同じくお風呂を先にするわ」
 ブライスが眉をひそめた。スハーラが目ざとく気付いて睨み返した。
「なあに、ブライス。心配しないで、下着で歩かないから」
 ブライスがホッとしたように肩をすくめた。それを見ていたベリックがつぶやいた。
「さっきのブライスの質問はつまり、女性を放任するか女性に支配されるか、どちらが正解かと言う問いなんだろうか」

 女性二人を除いた一行は食事をし、一息つくとベリックが立ち上がった。
「行ってきます」
 デクトも続いて立ち上がった。
「私が案内しましょう」 
 マルヴェスターがビールのジョッキを持つ手を挙げた。
「頼むぞ。おまえがクラハーン神の試練を突破しないと、後の者が続かない」
「はい」
 そう言って外への扉に手をかけたベリックがふと振り向いた。
「もしかして、その試練って一日で終わらないかもしれないんですか」
 マルヴェスターがうなずいた。
「だから、ここに設備満点の屋敷があるんだ」
 ベリックは口をとがらせると、デクトと一緒に外に出た。すると扉の外にフオラが尾を振って立っていた。美しい栗毛の肌を真昼の光が黄金色に染めている。
 案内役のデクトは屋敷の裏手に続く一本道にベリックを導いた。背が高いデクトが馬に乗ると、同じく馬に乗っているベリックでも見上げる程だ。デクトはベリックを見て懐かしそうな顔をした。
「それにしてもカベル王子に良く似ていらっしゃる」
「ロッグ陥落の時に、あなたが助け出してくれたのですよね」
「そうです。自分も戦うんだと言ってきかなかった。バルトール人らしい人でした」
 ベリックがふと後ろを見ると、アーヤの乗馬のフオラがポクポクと後を付いて来ていた。
「君も行くか」
 フオラはヒヒンといなないた。デクトを先頭に一行は進んだ。道をちょっと外れると原生林らしい密集した下生えで土すらも見えない。そこはまるで両側に緑色の壁がある通路のようにさえ見えた。ゆるやかな登り坂を一時間も馬を進めた頃、道に霧がかかってきた。ベリックは胸のあたりで六角形を描く真似をしてみた。
「この霧は晴らさないの」
「魔法の霧です。舞の座が近付いているのです」
 ベリックは不思議そうな顔をした。
「なぜクラハーン神は霧の中にいたがるんだろう」
 デクトは悲し気な顔になった。
「自信が無いとでも言うのでしょうか、自分で力の限界をつくる癖のようなものがあるのです。クラハーン神の霧の中での出来事は往々にして霧を抜けると無効になります」
「僕は何に気を付けたらいいと思う」
「ご自分を信じる事でしょう」
(そのとおり)
 ベリックの後ろで聞き慣れない声がした。ベリックが驚いて振り向くとフオラがブフウと息を吐いた。
「君か、君がしゃべったのか」
(魔法の霧のせいだろう。やっと僕の声が君に届いた)
 デクトが馬を止めた。
「着きました」

 舞の座は直径が二十メートル程の円形の舞台のようだった。磨き抜かれた黒大理石が鏡のように敷き詰められており、縁にはオレンジ色のふしぎな色の花崗岩が嵌め込まれている。ベリックはここで踊った太古の二神の姿を思い描いて靴を脱ぐと、裸足でその座に踏み込んだ。フオラは当たり前のようについて来たが、デクトは座の外側に残った。
 ベリックはベルトの鞘からバザの短剣を抜いた。すると霧が風に巻かれるように引きちぎれ、舞の座の上だけ見晴らしがよくなった。そして気が付くと舞の座の中央に質素な茶色の服を着たやぶにらみの小男が立っていた。
「来たか、おお、確かにバルトール王家の顔だ」
 ベリックはひざまずいた。
「クラハーン様ですか」
 その小男は笑った。
「中身はそうだが、外見はそなたの未来の姿だ。シャンダイアが負けた時のな。立て」
 ベリックは立ち上がって、まじまじとその姿を見た。
「ショックか」
「いえ、思い出した人がいます。僕の祖先の親戚です」
「何とそなたは過去を見るか」
「いいえ、過去から現在まで戦い続けている人がいるのです」
 クラハーン神は悲しそうな顔をした。
「ボック公爵か、そうかそうであったな」
 そう言ったクラハーン神の姿がふいに変化して、いつの間にか赤いチョッキを着た子供のような顔の男の姿になった。ベリックは思い出した。
「マスター・ロトフ」 
 クラハーン神の姿がさらに変化した。そこには額に宝石をはめ込んだ女性が立っていた。
「メソルおばさん」 
 それからクラハーン神はマスター・モントとリケルに順に姿を変え、次にマスター・マサズのぶよぶよした白い巨体になった。それを見たベリックは首を振った。
「マサズは死にました。今では次男のトンイがマスターです」
「そうか」
 マサズの姿が引き締まったようになって、そこにトンイが立っていた。こうしてみるとあの親子は似ていたという事がよくわかる。次にクラハーン神は格闘家のような大男になった。ベリックはこの男を知らなかったが、その特徴は腹心のフスツに教えられていた。
「おそらく、マスター・ケイフでしょう」
 クラハーン神はうなずくとまた姿を変えた。するとそこに髪の毛の長い堂々たる体格の男が立っていた。面長の彫りの深い顔とそれを縁取る黒い髪。そして闇のような深い瞳。その瞳がベリックをじっと見つめた。ベリックは息を飲んだ。
「これがマスター・ジザレか」
 ベリックはその男の存在に表現し難い大きな不安を感じた。ジザレの姿が次に少年のアントンの姿になった。
「今ではロトフの替わりにこの少年だったな」
「この七人のうち六人が過去に定めを受けた者で、一人が未来を開く者だ。闇に汚されたわしの知覚ではその一人がわからん。それを教えて欲しい」
 ベリックは自分と同じ高さのアントンの瞳を見つめた。
「それがクラハーン様の闇を払うのですか」
「そうだ、答えはそなたの短剣が見つけるはずだ」
「未来を見るのは冠かと思っていました」
「聖宝の力は本来すべてで一つ。私の指輪の元にある」
「わかりました」
 ベリックは考え込んだ。マスターの特徴は七舞とその支配地域にある。
(アントンはカインザーのマスターで火の舞、これはクライドン神の領域だ。同様にモントは癒しの舞でエイトリ神の、リケルは豊穰の舞でミルトラ神の、トンイは激情の舞でバリオラ神の領域にいる)
 クラハーン神の姿がマスター・メソルに変わった。
(メソルおばさんは暁の舞だから、当然エルディ神の領域か。でもそうすると、ケイフの海の舞はどの神の領域になるんだろう、エルディ神は海にも深い関わりがあるはず)
「わからんかね」
「メソル、ケイフ、ジザレの三人のうちの誰かです」
「何に迷う」
「クラハーン様の特性がわからないのです。支配するのは海ですか、それとも大地ですか」
「両方だ」
「そうすると七人すべてが消えてしまう。バルトール・マスターはそれぞれが支配する地域の聖宝神にちなんだ舞を持っています。これまでシャンダイアを支えてきた六つの聖宝とその守護者に対応しない一つの舞の持ち主が未来だと思うのです。メソルは暁の舞でエルディ神に対応すると思われます、ただエルディ神は海の神でもあります。ケイフは海の舞、ジザレは大地の舞の舞い手ですが、海と大地の両方をクラハーン様が支配するのであれば、すべては過去に決められた定めのマスターとなります」
 クラハーン神は言った。
「ここは舞の座だ。新しい鼓動が未来を開く」 
 ベリックはうなずいて上着を脱いだ。
「私は七舞すべてを知りません。先程のマスターの姿になった時、そのマスターの舞を私に教える事ができますでしょうか」
「出来るよ。だが時間がかかるぞ」
「二日で。私は、暁の舞と火の舞、そして豊穣の舞をすでに憶えています」
「よろしい。その二日間、そなたには休みも食事もいらぬようにしよう」
 それを聞いたフオラはトコトコと座の端に移動した。こうしてベリックの舞の修行が始まった。
 ベリックはまず憶えている暁の舞をクラハーン神の前で披露しようとした。マスター・メソルの姿の前で踊ると、子供の頃を思い出してさすがに緊張する。クラハーン神がそのベリックを見ていぶかしげな顔をした。
「なぜ短剣を持たないのだ」
「え、持つのですか」
「元々はそうだよ。おそらくバルトールの民が世を忍ぶ生活をしているうちに、周りから注目を浴びないように持たないで舞うようになったのだろう」
 ベリックは短剣を手にして舞を始めた。
(なる程、何も手にしていない時よりはるかに安定して舞える)
 暁の舞を舞い終えたベリックは、これはエルディ神の領域だと知った。続いて火の舞、豊穣の舞を舞った。この二つもすでに過去に確立されたクライドン神とミルトラ神の領域のものだった。クラハーン神がうなずいた。
「見事だな。それでは次に何を憶えたい」
「癒しの舞を、続いて激情の舞をお願いします。これら二つは過去からのものだと思いますので、確信を持ちたいのです」
「よろしい」
 すでに夜になっていた。マスター・モントの姿になったクラハーン神は両手を巧みに使った踊りをベリックに教え込んだ。そのモントの表情が昼間とは変わってとても険しいものになっている。クラハーン神は凄みのある顔で笑った。
「夜には私に闇の気配が兆すのだ。だが気にしなくていい、私には光の特性のほうが遙かに多いから」
 その夜から翌日の昼にかけてベリックは癒しの舞を、続いて激情の舞を習い、そのどちらの舞も未来を開くものでは無いと確信した。
 ベリックはクラハーン神に休憩を求め、神は許してしばし姿を消した。ベリックは舞の座の中央にあぐらをかいて座り込んだ。周りを見回すと座の端にフオラが、そして離れた座の外側にデクトがみじろぎもせずに立っている。ベリックはフオラに声をかけた。
「ごめんね。時間がかかっちゃって」
(いや、見事な舞だったよ。見ていて飽きない)
「君にはクラハーン様の言う未来について何かわかったかい」
 フオラはブフウと鼻を鳴らした。
(僕なりに色々考えてみたけど、わからない。君にしかわからないんだと思うよ)
 夕方になり、ベリックが立ち上がると大男のケイフがいつの間にかベリックの前に立っていた。
「始めようか」
「はい」
 やがて二度目の夜が来た。ベリックは月光を受けて丸い水面のように輝く舞の座の上で海の舞を踊った。ベリックはその舞の中に何かを掴もうと必死になったが、そこには何の違和感も感じられなかった。クラハーン神が言った。
「どうしたベリック」
「いえ、最後の舞を」
「よし」
 すでに時刻は深夜になっていたが、全く疲れを感じる事は無かった。大地の舞の修行が始まった。
 大地の舞は低い姿勢で始まり、上に向けた掌を空にせり上げるようにしながら舞う。その練習の最中にベリックは短剣を持つと舞のバランスが悪くなる事に気づいた。ベリックはバザの短剣を脇に置き、素手で舞ってみた。そのほうがはるかに軽やかに舞える。
(これなのか)
 やがてジザレの姿のクラハーン神が手を叩いた。
「見事。これでそなたはすべての舞を身に着けた」
 そして大地の舞を踊り終えたベリックに尋ねた。
「わかったか」
「はい、未来はジザレです。大地の舞にはバザの短剣が必要ありません。おそらく他のマスターとは別の定めの者なのでしょう」
 堂々たる体躯の男は両脇に拳を握り、頭を下げた。
「礼を言おう。舞は大地の鼓動だ。これで新しい鼓動が刻まれ、来るべき者がやって来る事が出来るようになった」
「僕の答えは正しかったのですか」
「それはわからないが、私はお前を信じるよ。短剣の特性は何かね」
「人の心に反応して素早く動く。弱き心を励ますためのものです」
「そうだ、ジザレに会う時、それが大切になる」
 そう言うとジザレの姿が揺れて消え、ゆったりとした豪華な服を着たがっしりした体型の男性が現れた。端正な思慮深い顔に見事な黒い髭がたくわえられている。
「ここでの私との会話は、魔法の霧の結界を抜ければお前の記憶から消える」
「ええっ、それでは僕は何に気をつければいいのか忘れちゃう」
 ベリックの後ろにいたフオラがいなないた。
(僕は魔法の存在だから。憶えていられるよ)
 ベリックは振り返ってフオラの鼻面に腕をまわした。
「ありがとう。君はやっぱりただの馬では無かったんだね」
 クラハーン神が満足そうにうなずいた。
「それでは次の島で待つ」
 そう言って神は消えた。霧がまた舞の座の上にただよって来た。
「帰ろう」
 ベリックはそう言うと、フオラとデクトを連れて坂を下った。霧を抜けると、外には日が照っていた。ベリックは隣に馬を並べているデクトに尋ねた。
「さあて、困った。何か大切な事を教えてもらったんだけど憶えてないや、この状況をみんなに説明してね」
「わかりました」
「でもどうしてクラハーン様は記憶まで奪うのだろう」
「神のなさる事に完全な説明など出来ません。おそらく本当に必要な時が来るまで伏せるべき事なのでしょう」
 やがて原生林の向こうにぽっかりと空き地が見え、屋敷の前で、セルダンが剣の稽古をしていた。
「やあベリック」
「ただいま。何日たちましたか」
「二日だよ。無事で良かった」
 屋敷からブライスを先頭に、エルネイアとスハーラが飛び出して来て口々に言った。
「良かった」
「どうやら次の島に行けるようですよ」
 遅れてマルヴェスターもやって来て尋ねた。
「それでどうだった」
 ベリックは思い出せる限りの一部始終を語った。
「実は魔法の霧の中の出来事で、クラハーン神と何の話をしたのか憶えていないんです」
 セルダンが尋ねた。
「デクトはどうだ」
「ベリック様は舞の稽古をされておりました。すでに七舞のすべてを憶えておられます」
「素晴らしいでしょ」
 ベリックが横に来たフオラの鼻をなでながら得意気に言った。フオラは何か言いたそうに口をもごもごさせていた。
 デクトは残念そうに首を振った。
「でもクラハーン神と何を話されていたかはわかりません」
 ブライスがうなった。
「それじゃ役に立たない」
 マルヴェスターが手をあげて皆を制した。
「良いでは無いか。時が来ればわかるだろう」
 そして杖で屋敷に向かって右手に延びる道を指し示した。
「さあ、次の島に行こう。浄化の座、スハーラの番だ」

 (第五章に続く)

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