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シャンダイア物語

第五部 守りの平野
第五章 第二の島 巻物の試練

福田弘生

 磨き抜かれた木で造られた細く長い橋を渡って、聖宝の守護者達は第二の島に渡った。馬の蹄が硬い木を打つカツカツという心地良い響きが海面に鳴り渡る。智慧の峰の巫女スハーラが橋から海面に目を移すと、浅瀬に綺麗な玉砂利が輝いていた。明るい日差しの下に浮かぶ第二の島の姿はとても平和な光景に見えた。そこは丸い小さなガラスのかけらのような砂が敷き詰められた砂の島だった。所々に黒い岩が埋め込まれたように頭を出し、島の中央には黒い岩が切り立ったような円筒形の岩山がある。橋を渡り終わった時、ベリックがその岩山を指差してクラハーン神の神官デクトに尋ねた。
「あそこの上が浄化の座なの」
「いえ、浄化の座はあの岩壁に囲まれた内側にあります」
「へええ」
 さっぱり体重が絞れない大柄な雄馬のスゥエルトに跨ったブライスは、心配そうな顔でスハーラに尋ねた。
「浄化の座って言うのは、アイシム神達が何をした所なんだ」
 スハーラは海風を頬に受けながら答えた。 
「この星が産まれて、大地が回転を始めた後。原始の大地や海の中には本来星を構成する物質では無い宇宙の物とか、光と闇の属性が定まらない混沌とした物質が存在したの。それらをふるいにかけ、浄化し、ある物は宇宙に戻し、ある物には光の属性を、ある物には闇の属性を、あるいは両方の属性を与えてその物資のあるべき場所を定めた所よ」 
「おっそろしい場所だな。気を付けて行けよ」
「ええ」
 砂浜をしばらく進んだ後、大きな黒い岩の前でデクトが馬を降りてスハーラに呼びかけた。
「いつ出発なさいますか」
 スハーラが一行の最後尾にのんびりと付いて来た魔術師マルヴェスターのほうをうかがった。
「第一の島で十分に休みは取りました。出来ればすぐに出発したいと思います」
 老魔術師は空を見上げて目をすがめた。
「太陽が高過ぎる。夕方に出発しなさい」
 スハーラが不思議そうな顔をした。
「なぜですか」
「浄化の座は聖なる座の中で最も夜に近い。そなたの特性は夜だ、巫女よ」
 デクトが砂を足で蹴散らして底になっている黒い岩盤を踏み鳴らした。すると、ゴトンと音がして近くの大きな岩が動き、地面の下に地下に続く通路が現れた。それを見たベリックとエルネイア姫がオオーッと声を上げて拍手した。ブライスがうなった。
「デクト、お前の神様はおとぎ話の読み過ぎじゃ無いか」
 クラハーン神の神官が笑った。
「いいえ、おとぎ話の作り手なのです。妙に芝居がかった事が好きで、時々シャンダイアやソンタールの地方の村々でちょっとした騒ぎを起こしました」
「シムラーに居ながらか」
「いえ、指示を受けた私が色々と」
 ブライスがうなった。 
「やれやれ。夢の無い事を言ってしまった。俺だっておとぎ話は嫌いじゃ無かったんだ」
 地下の通路の先にはいくつかに仕切られた部屋があり、立派なつくりの家具があった。馬は連れて入れなかったが、デクトが枝になった洞窟の一つから干し草と水の入ったバケツを持って出て、大柄で栗色の旅の仲間達に与えた。
 一行はスハーラが台所をかき回して手際よく作り上げた料理を大喜びで食べた。その後セルダンとベリックはさっさとベッドにもぐり込むと、すぐに眠り込んだ。エルネイアは風呂に入り、マルヴェスターは酒の瓶を手にソファーに横になった。それを見たスハーラは思わず微笑んだ。大変な試練が始まる前の時間を、何気ないいつもの光景にしてくれた仲間達の存在が嬉しかったのだ。ブライスがスハーラを後ろから軽く抱き寄せた。
「夕方だ。そろそろ出かけたほうがいい」
「ええ。心配しないでね」
「心配するなと言われても俺は心配性だからなあ。でも君は俺より頭がいい、どんな難題でも切り抜けられるさ」
 スハーラは横になっているマルヴェスターに尋ねた。
「クラハーン様はまた私の試練の記憶を奪うのでしょうか」
「おそらくな」
「私は魔法でリラの巻物に記録を残す事が出来ます」
「やめておけ。クラハーン神はその聖宝の力のすべてを統べる者なのだ」
 肩をすくめてスハーラが地表に出ると、デクトと栗毛の不思議な馬フオラが待っていた。スハーラは首をかしげた。
「フオラに乗って行くの」
「いえ、乗り慣れたいつもの馬に乗っていただければ良いのですが、なぜかフオラが付いて来るのです」
「そう。何か理由がありそうね。おいで、フオラ」
 スハーラはフオラの首を軽く叩くと、自分の馬を呼んでヒラリと飛び乗った。智慧の峰の巫女のゆったりとした長いスカートは乗馬の邪魔にはならない。デクトが先頭に立ち、スハーラとフオラがその後に続く。デクトはまっすぐに円筒形の岩の高台に向かった。砂の中にはかすかに道のようなものがあり、そこの砂はよく固められていて馬達は疲れる事無く坂道を上った。やがて両側に巨大な岩の壁が見えて来ると、霧が周りを包んだ。
「これが問題の霧ね」
「ええ、この島はクラハーン神の魔法の領域の境が分かり易いのが特徴です。岩壁の内側が領域という事になっています」
 霧の中に入るとそこは薄暗いながらも、なぜか柔らかい光に包まれていた。スハーラはデクトに馬を並べた。
「なぜ明るいのかしら、もうすぐ夜よ」
 デクトがキョロキョロした。
「不思議ですか、真っ暗だと困るでしょう」
 スハーラが目をパチクリした。
「それもそうね」
 一行は黒い岩が林立する場所を抜けて、岩山の中央部にある空き地に出た。そこには艶のある石が敷き詰められた丸い座があり、薄暗い中央に人影があった。
「よく来た。エイトリの娘」
 スハーラはデクトを外に残して浄化の座に歩み入ると、円の中央でクラハーン神と向き合った。上背は無いががっしりした逞しい体格。厳しい顔を縁取る黒い髭、貴族のような精緻な模様がほどこされた裾の長いガウン。堂々たる支配者の姿がそこにあった。スハーラに付いて来たフオラが、後ろで鼻を優しく鳴らした。その鼻息に勇気づけられたスハーラは思い切って尋ねてみた。
「なぜ一人一人の守護者を試されるのでしょう。クラハーン様を待っている皆の前に姿を現して、悩み事を一気に解決してしまったほうがよろしいのでは無いでしょうか」
 クラハーンは人差し指を振った。
「神には神の時の流れがある。悩みも思考もまたしかり。いっぺんに解決出来る程単純では無い。私には取り戻すべき失われた力と、知らねばならない真実がある。ベリックには失われたバルトールの未来の一つを取り戻してもらった」
「ベリックに未来をですか」
「ああ。そなたには、私の力が闇に汚されているために知る事の出来なかった謎の一つを、解く手助けをして欲しい。さあ座りなさい」
 そう言ってクラハーン神が手を上げると、天からザッーと大雨のような水が降り注いだ。浄化の座は水を張った水盤になった。その中にびしょ濡れの白い衣の巫女は静かに座った。クラハーン神はフオラの腹をなでながらスハーラの後ろに立った。
「ルドニアの霊薬を出しなさい」
 スハーラは懐からルドニアの霊薬を取り出した。
「数滴で良い、水の中に。残りは大切に取っておきなさい、必要とされる時が来るはずだから」
 スハーラはルドニアの霊薬を数滴水に振り注ぎ、瓶の蓋を閉めると残りを大切にしまった。しばらくすると、水の中の遙か底のほうに光が見えた。光はゆらめきながらもとても強い。それは水越しに見る太陽だった。目をこらすと、その光の周りに木片が漂い、やがていくつかの千切れた船の残骸と人の姿が見えた。スハーラは思わず口元をおさえた。
「わかるかスハーラ」
「はい、これは海戦の後の海面を水の中から見上げているのです」
「そうだ。五百年前、マルバ海で行われた海戦の直後の海の中だ。目をこらしてみなさい、何が見える」
 スハーラの目の前を無惨な姿の死体がいくつも漂って行った。若い巫女は懸命にその水の中を見つめた。やがて白くて長い衣を着た一人の若者が水の中に沈んで来た。その顔が見えた時、スハーラは息を飲んだ。
「マキア王。いいえ、マキア王のはずは無い」
 クラハーン神が巫女の後ろで悲しそうな声を出した。
「これは五百年前の出来事だ、マキアでは無い。しかしサルパート王家の者が一人、この海戦に参加していた」
 スハーラは水の中の若者を見つめた。そして気付いた。
「おお、これが翼の神の最後の弟子、セリス師ですね」
 やがて若い魔術師の体に手が触れられそうになる程の所までセリスが近付いて来た。セリスの手には小さな瓶が握られている。スハーラの手元にある瓶とは違う小型の物だったが、セリスが持っているのであれば、それはルドニアの霊薬のはずだった。セリスはおそらく薬を分けたのだろう。クラハーンがスハーラの後ろからのぞき込んだ。
「そこからだ。何が起こったのか教えて欲しい」
 スハーラは神の顔を振り仰いだ。
「クラハーン様には見えないのですか」
「うむ、そこから先がどうしても見えない。光と闇が複雑に絡み過ぎている。そなたは透徹した光の知性と闇を見透かす目を持っている」
 スハーラはその澄んだ目をこらした。その時、水の中から光が消えた。最初スハーラは過去からの映像が途絶えたのかと思った。しかし、セリスの姿がうっすらと見える。どうやら太陽の光が何かに遮られたらしい。注意深く見つめていると、セリスの後ろにいくつかの太い筒のような物の影が見えた。やがてスハーラはそれが大きな指である事に気付いた。その時、死んだかと思われていたセリスの目がパッチリと見開かれ、クルリと体を回転させると水面を向いた。スハーラからはセリスの背中が見える。
(セリスは生きていた。いったい何が起きるの)
 そこにもう一つの人影が泳いで来た。
(黒い衣、黒の神官、黒い冠の魔法使い。するとあの巨大な手が謎に包まれているユマールの将の巨獣なのね) 
 水中のセリスに巨大な手が襲いかかった。セリスは手の中のルドニアの霊薬の瓶を開けた。そして水の中で腕を振り回すようにして海水に混ぜると、巨大な手の指にしがみついていった。セリスは何かを懸命に唱えているようだった。小さく見えるその顔が苦痛にゆがんでいる。
(セリスは巨獣を闇の支配から解放しようとしているのだ)
 巨大な獣の手が握り締められ、翼の神の弟子はつぶされてしまいそうに見えた。握られた巨大な手の隙間からセリスの細い腕が突き出て苦しそうにばたばたと動いている。スハーラは息を飲んで見守った。やがてセリスの腕の動きが止まった。しかし程なくして若い魔術師は巨獣の握られた手を内側から押し開き、再び海中に漂い出た。
(凄い、自ら巨獣に挑んで解放してしまった。ルドニアの霊薬があったとは言え、恐るべき勇気と実力。セリスとは大変な人物だ)
 次に黒い衣の魔法使いがセリスに襲いかかった。セリスの白い衣がスハーラの視界を遮った。どうやらセリスは黒の神官と水中で揉み合っているようだ。
(魔法使いと言うのは水の中でも息がもつのね)
 水中での揉み合いはしばらく続いたが、やがて不思議なくらいに体を反らせた黒の神官が沈んで来た。スハーラの目の前に小柄で頭をそり上げた魔法使いの苦悶にゆがんだ表情が見える。そして魔法使いは視界の外に消えた。
(セリス師が勝った)
 残ったセリスは疲労困憊したようにしばらく手足をダランとして漂っていたが、気力を振り絞るように再び巨獣の大きな手にしがみついた。
(何をしているのだろう)
 しばらくしてスハーラにはセリスの目的がわかった。
(そうか、セリスはこの謎の巨獣を自分で支配しようとしているのだ)
 セリスはもの凄い形相で懸命に何かを叫んでいる。巨獣とセリスの凄まじい戦いが続いた。セリスの端正な顔は苦痛にゆがんだが、しばらくしてその顔から苦痛の皺が消えた。
(やった。支配した)
 そこで映像が消えた。水面から太陽の光が消え、浄化の座の天空にかかる月の光に替わった。そして水面を見つめる自分の顔が見えた。クラハーン神の低い声がスハーラを現実に引き戻した。
「何が起きたかわかったか」
「少し混乱しています。何かがおかしいのです」
「何がおかしい」
「魔術師セリスは死んだと思われていました。でも、今私が見た光景ではセリス師は海戦を生き残りました。黒の巨獣を闇の力から解放し、黒い冠の魔法使いを倒し、そして」
 スハーラが息を飲んだ。
「どうした」
「とても嫌な予感がします。魔術師セリスは黒の巨獣を支配したのです」
「セリスが死んでいないのならば、どこにいる」
「わかりません」
「黒の巨獣はいまだにユマールの将の守護獣だぞ」
 スハーラは震えながら立ち上がった。月光に照らされた青白い顔に恐怖が浮かんでいる。
「もしそうだとすれば答えは一つです。セリス師が黒い冠の魔法使いになったのです。彼は魔法使いには打ち勝ちましたが、巨獣との戦いの中で心が闇に負けたのかもしれません」
「どうやら、そのようだな」
 クラハーン神がパシンと手を叩くと月の光が消えて、満天の星が浄化の座の水面に満ちた。スハーラの目に涙が浮かんだ。
「どういたしましょう」
「ここは浄化の座。そなたの手には何がある」
 スハーラは懐から小瓶を取り出した。
「ルドニアの霊薬です。これでセリス師を解放出来るのでしょうか」
 クラハーン神が軽く手を上げた。
「セリスが持っていた瓶はどのくらいの大きさだった」
「そうですね。丁度この瓶の半分より少し小さいくらいでした」
「セリスは霊薬を分けて使っていた。そなたの手元にあるのが残りのすべてならば、その質問の答えは否だ。その霊薬はセリスの解放以外に必要になる時が来るだろう」
 スハーラは小瓶を握り締めた。
「もし他に残りがあったら、それで解放出来ますか」
「他にあればだが、私が海の中から回収したのはこれですべてだった」
 スハーラはクラハーン神を見つめた。
「どうやって回収したのですか」
「魔法の水を回収するために白い魚を放った。魚達にはルドニアの霊薬を嗅ぎ分ける力を与えてあった」
「この事はマルヴェスター様に知らせなければなりません。セリス師についてはとても心配されていました」
「だからこそ。知らせる時は慎重で無ければならないのだよ」
 スハーラはハッとした。
「申し訳ございません。出過ぎた事を申しました」
「やがて時は来る。セリスの存在はとても重要だ。彼の魔法の力はマルヴェスターやガザヴォックに次ぐ」
 クラハーンはスハーラの肩に手を置いた。
「この私より大きいのかもしれないのだ」
 スハーラが首をかしげた。
「クラハーン様はテイリンという魔法使いをご存じですか」
「デクトからの知らせにあった。わしはまだその者の魔法についてはよく知らない。マルヴェスターは何と言っているのだ」
「アイシム神の魔法使いでは無いかと」
「それではガザヴォックに対抗する力がまた一つ生まれた事になるな。私が北の島で悶々としているうちに世界は途方も無い力で満ちてきたようだ」
「クラハーン様もその一角に」
「私一人では無理だ。弟や妹達と六人で戦おう。さて、それではわしは次の島でそなたの連れ合いになる男を待つ事にする。ブライスと一緒になっても気を付けなさい。あの者は城に居着く性格では無い。それは場合によっては何か定められない別の運命を引き寄せるかもしれぬ。そなたも少しブライスを繋ぎ止める努力をしたほうがいいぞ」
「どうしたらいいんでしょう」
 クラハーンが言葉につまった。
「今度は私が余計な事を言ったかも知れぬな」
 スハーラが情けなさそうな顔をした。クラハーン神は苦笑しながら消えた。
 浄化の座に沈黙が降りた。その時、スハーラの後ろで突然フオラがヒヒンといななくと言った。
「今の事も憶えていて、後で教えなきゃいけないの」
 スハーラはびっくりして、鼻白の馬の顔をまじまじと見た。
「あなた喋れるの」
「みんな驚くね。この魔法の霧のおかげだよ」
 スハーラは馬の鼻先の柔らかい所をさすってみた。
「後で教えるって、もしかしてあなたはこの霧を出ても記憶を失わないの」
「うん。でも喋れなくなる」
 スハーラが笑った。
「大丈夫。あなたの言葉がわかる人がいるわ」
「人間なのに」
「ええ。エレーデというサルパートの女の子よ。あなたはまだ会った事は無いのね」
「知らないよ」
「いいわ。セントーンに戻ったら呼び寄せたい所だけど」
 そう言って巫女は口をとがらせた。
「この事も忘れてしまうのよね、でもいずれにしてもベリックが呼ぶでしょう」
 そう言ってフオラのお尻をピシャリと叩いた。
「それから、余計な事は憶えていても言わなくていいのよ」
 フオラは不満気にブッヒヒといなないた。

 スハーラの仲間達は不安な気持ちでその夜を過ごした。そして翌朝、セルダン王子は地下に設けられた広々とした部屋で、テーブルの上の果物をかじりながらベリックに尋ねた。
「アントンに聞いたんだ。彼がカインザーのバルトール・マスターなんだってね。いつからなの」
「北の将が死んでサルパートが開放された後です」
「ずいぶん前の事だなあ」
「あの要塞戦の後、セルダン王子もブライス王子もザイマンへの航海に出てしまいましたから」
「アントンの父親のレドが知ったら驚くだろうな」
 ソファーのマルヴェスターがビールを飲みながら口を挟んだ。
「レドが生き残ればだがな。緑の要塞は十重二十重にソンタール軍に包囲されているそうだ」
 大きな椅子に沈み込んでいたブライスが、寝不足気味の目でマルヴェスターを見た。
「今の所あそこのソンタール軍には船が無いんだろ、そんなの包囲に入らない。攻め込まれたら海に引いて戦えばいい」
 セルダンは首を振った。
「それはザイマンの考え方だ。カインザー人はそう簡単にはいかない」
「カインザー軍の指揮官は冷静なバイルンだろ。それに、クライバーには現実家のバンドンがついてる」
「うーん、そこが問題なんだ」
 セルダンが椅子を引きずってブライスの前に移った。
「要塞の最高指揮官はデル・ゲイブだろ」
「ああ、デルなら立派にあの要塞をまとめられるはずだ」
「たぶんね。傷ついた兵を休め、船を直し、カインザーからの援軍の手配をし、ザイマン本国から物資を届けさせて要塞を立て直す事は出来ると思う」
「他に何があるんだ」
「怒るなよブライス。デル・ゲイブは戦闘の指揮が全く出来ない」
「まあ、そうだな」
「ベゼラさんも艦隊の指揮はともかく要塞戦では力を発揮出来ないだろう。だから戦闘時の事実上の指揮官はバイルンになるはずだけど、バイルンはザイマンの艦隊の指揮は出来ない」
「うん」
「しかもバイルンは良くも悪くも九諸侯の中で一番鷹揚な性格で、ベロフやクライバーのような負けん気の固まりのような連中に言う事を聞かせる事は難しい。トルソンかロッティなら出来たと思うけど、バイルンには無理」
「という事はどうなる」
「要塞の中がバラバラになる危険がある。僕はこんなに早くあそこが包囲されるとは思っていなかった。包囲の前までにもうちょっと要塞側の守備体勢が出来ると思ってたんだ」
 マルヴェスターがうなずいた。
「セルダンの言う通りだ。しかもあそこには魔法の使い手が一人もおらん」
 シーツを腰に巻きつけたエルネイア姫が、椅子に座ってスカートの裾に乗馬用の切れ目を入れながらつまらなそうに言った。
「クライバーとベロフにセントーンに来るように言ったらいいじゃない。大喜びするでしょ。どうせ二人とも大して兵を率いていないんだから要塞にはあまりダメージにならないし、バイルンだけならちゃんとザイマンとやっていけるんじゃ無い」
 セルダンはきょとんとした。
「どうしてそうしなかったんだろう」
 ブライスが首を振った。
「それを言うなら、魔法が使えるトーム・ザンプタを残してこなかったのも同じだ。今更遅い。大変なのはどこも同じだから、そこにいる連中でどうにかしてもらうしか無いだろう」
 セルダンとマルヴェスターは顔を見合わせてため息をついた。セルダンはベリックに尋ねた。
「それで、アントンは今何をしてるんだ」
 ベリックは首をかしげた。
「たぶん火の舞の練習でもしてるでしょう」
 その時、入り口の扉がバタリと開いた。そしてそこに疲れた顔のスハーラが立っていた。
「ただいま」
 ブライスが駆けよって抱きしめた。
「どうだった」
「なんだかとても疲れたわ」
 マルヴェスターがホッとしたように言った。
「一晩がかりだったな。今日はゆっくり休みなさい。明日、出発だ。次はブライス、お前の番だぞ」
 ブライスは片手でわかったと軽く応じると、スハーラと共に寝室に向かった。

 ・・・・・・

 ソンタール大陸の南端に位置する緑の要塞。シャンダイア軍が陥落させたこの要塞を包囲したソンタール軍は、またたく間に要塞の城下町を支配下に置いた。さらに城を取り巻く町中に走るすべての水路を封鎖した。そのため、市民の生活はかなりの不便を強いられる事になったが、要塞への物資の流れは途絶えた。寄せ手の総大将のマング・ジョール侯爵は自信満々で要塞への攻撃を開始した。
 元々南の将の要塞と呼ばれていた頃から、この要塞には大きな城壁が無い。しかし大した防備も無いように見える各城門に押し寄せたソンタールの大軍は、降り注ぐ矢と強靭なカインザー戦士達の前に散々に打ち破られて退却した。
 水路にかかる橋も街中の路地もソンタールの兵でごったがえしたが、小さな門一つ落せなかった。むしろ狭い路地にひしめく兵は、シャンダイアの弓兵の格好の的となった。さらに、海岸沿いに陣を敷いた軍が夜襲や襲撃で疲弊した。そんな状態のまま一週間が過ぎた。
 ソンタール軍の陣営では大きな机を囲んで連日軍議が開かれた。マング・ジョールはその席上で諸将に尋ねた。
「あの山のような要塞はなぜ落ちないのだ」
 横にいた部下が答えた。
「それは元々ソンタールの南の将グルバ様の要塞だったものです。首都グラン・エルバ・ソンタールを除けば、この世界で最も堅固な五つの要塞の一つですから」
 重厚な貴族マングが苦虫を噛み潰したような顔で言った。
「それはわかっとる。問題は圧倒的な兵力の差がありながら、びくともせん事だ」
 誰もこれに答えられなかった。マングは後ろに並んでいる三人の魔法使いにも文句を言った。
「ザラッカの残した猛鳥コッコ等、何の役にも立たなかったでは無いか。お前達の魔法は何のためにあるんだ」
 三人の魔法使いは凄まじい形相で顔を伏せた。この会議の様子を見ていた傭兵のガッゼンはあきれかえって、クラウス・ゼンダの参謀のダイレスを衝立の後ろに呼んだ。
「おい、本当に誰も原因がわからないのか」
 ダイレスは困った顔をした。
「誰も要塞攻めなどした事がありませんから。私はサムサラ砦の攻撃に参加した事がありますが、こことは規模が違い過ぎます」
「問題は要塞じゃ無い。海だ。海軍無しで海辺の要塞が攻められるものか。俺じゃあ、ここで発言出来ねえ。クラウスに耳打ちしてやれ」
 ダイレスはあわてて席に戻ると、当主のクラウスに耳打ちした。クラウスはしばらく考え込んでいたが、結局その会議では発言しなかった。会議は結局たいした対策の案も出ずに終了した。マング・ジョールの威圧的な態度には、諸将が発言をしにくい雰囲気もあったのだ。
 若いクラウスは自分達の宿泊場所にきめた屋敷に戻ると、ガッゼンを呼んだ。ぼろを繋いだ戦闘服姿のガッゼンは、荒々しい足音で屋敷に入ると、苦い顔をしてクラウスに尋ねた。
「どうして発言しなかったんです。あんたはちったあ戦闘を知ってると思ったんだがなあ」
 クラウスは首を振った。
「言ってもここには海軍がいない。ラムレスの父親は膨大な数の兵はあずけられたが一隻の船も持っていないんだ」
「なる程ね。本国もこの兵数がありゃあ簡単に勝てるとふんだんだろう」
「そうでも無いんだ。ゼイバー提督の艦隊の一部が回ってくる予定だったんだが、エルバナ河の西岸の町をカインザー軍が攻撃している」
 傭兵隊長が馬鹿にしたように笑った。
「そら、牽制だろう。陸路でグラン・エルバまでの補給線はつくれない」
「もちろんそうだ。だが首都の貴族達は恐れている。ゼイバー提督の艦隊が動く事を許さないんだ」
「それで、どうするんだ。あんまりのんびりしてるようなら、俺は東の将の所に行ってセントーン攻めに加わるぞ」
 ダイレスが慎重に発言した。
「とりあえずここにいる兵を最大限有効に使えるようにすればいいでしょう。こちらには人手がいくらでもあります。あの要塞の周りの水路をすべて埋めてしまってはいかがでしょう。そうすれば大軍で一気に要塞に攻め寄せられる」
 さすがにクラウスが驚いた。
「市民の生活が成り立たなくなってしまう」
「今だって同じでしょう。さっさと戦いを終わらせたほうがいい」
「ああ、仕方が無いか」
 感心したようにガッゼンが言った。 
「なる程、ここは少しはまともな戦場だ。しかし俺のとこの傭兵はそんな作業はやらねえぜ」
 クラウスが笑った。
「お前の兵は戦いが始まってから何もしていないだろう。町の中で死んでるのは、みんなジョール家かオルソート伯爵の兵だ」
「あんたの所の兵だって似たようなもんだろう。海岸でやられてるのはジョール家かオルソート伯爵の兵だ」
 若いゼンダ家の当主は肩をすくめた。
「いっくら言ってもラムレス達があの陣を動かさないのさ。わかった、水路を埋めるのはゼンダ家の兵がやる。ラムレスに話をしてくる。彼から父親に進言してもらおう」
 ガッゼンが肩をすくめた。
「この攻撃軍の最大の問題がそこだ。総大将のマング・ジョールに話を通すまでに何人の人間を間に挟めばいいんだ」
 その時、部屋の中が急に寒くなり隅のほうに闇が渦を巻いた。そして頭をそり上げた三人の年老いた魔法使いが現れた。クラウスが驚いた。
「メド・キモツ様、ドボーレ様、パンハル様」
「いかにも」
「まさに」
「しかり」
 魔法使いは順に言うと、最後にメド・キモツが言った。
「今の話に興味あり」
「聞いていたのですか」
「マング・ジョールは神官部隊を全く活用せん。夜襲も攪乱も暗殺も。その特徴を全く活かさないのに無能扱いする。あの男こそ全くの馬鹿者である」
 クラウスが驚いて口に人差し指を当てた。
「魔法使いの方々と連携している五将ならばともかく。マング様は首都の貴族の中の貴族ですから。正直な所、ええと、何と言うか」
「我らを馬鹿にしている」
「まさに」
「しかり」
 ダイレスがうかがった。
「我々に老師達のお役に立てる事がございますか」
 メド・キモツが言った。
「クラウス、そなたはラムレスを通してマング・ジョールに水路を埋めるように進言するが良い。そして親子に張り付いて、何が起きようと余計な動きをさせるな。オルソート伯爵の機嫌もとっておけ」
「そいつは大変だ」
 次にメド・ドボーレが言った。
「ダイレス、そなたは水路を埋めろ。委細かまわず真っ平らにするがいい」
「了解いたしました」
 最後にメド・パンハルがガッゼンに歩み寄って耳打ちした。ガッゼンがニヤリと笑った。
「承知」
 クラウスが首をかしげて尋ねた。
「神官軍はどうなさいます」
 メド・キモツが答えた。
「神官軍はマング・ジョールの軍と別行動を取る。要塞に夜襲をかける」
 メド・ドボーレが言った。
「そして我ら三人は」
 メド・パンハルが締めくくった。
「要塞の将を暗殺する」
 クラウスは背筋が寒くなるのを感じた。

 (第六章に続く)

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