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シャンダイア物語

第六部 統治の指輪
第四十章 ソンタール軍分裂

福田弘生

 

 ユマールの将ライケンは巨大都市エルセントの南の一角に陣どって、北西に聳えるエルガデール城の攻防を眺めていた。三階建ての商家の屋上に置かれた巨大な椅子に沈み込んだ小柄なユマールの支配者は、ワインのグラスを片手に不機嫌そうな顔で横に立っているミハエル侯爵にぼやいた。
「聖宝の守護者達は粘るなあ、さっさと聖宝を放り出して降参してしまえば良いのに。元々シャンダイアの各地域を治めていた大貴族の末裔だ、命さえ助かればグラン・エルバの名家好きの貴族達が庇護者になってくれるかもしれんぞ。それを教えてやろうか」
 ミハエル侯爵が丸く跳ね上がった銀色の口ひげをなでながら首をかしげた。
「さあて、戦いが長すぎましたから、それはいかがでしょうか」
 ワインを口にしようとしたライケンは、白い細い煙が視界にたなびいて来たのに気が付いた。
「何の煙だ」
 あたりを見回したミハエル侯爵が北を指差して叫んだ。
「ライケン様、北に火の手が」
 そこに重い鎧をガチャガチャと鳴らして、兵が階段を駆け上がって来た。
「ライケン様、キルティアが街に火をかけました」
 ライケンは座っていた椅子を激しく叩いた。
「馬鹿な、我々がエルガデール城を囲んでいるのだぞ、火をかければ我が軍が被害を受けてしまう。しかもキルティア自身もエルセントの城壁の中にいるではないか」
 兵があえぐように答えた。
「キルティアは北の一角の住居や商店を取り壊して緩衝地域をつくっていました。火はキルティア軍の駐屯地にはまわりません」
 そこに別の兵がやって来た。
「ライケン様、港の倉庫がキルティアに襲われています。食料が奪われました」
 ライケンは険しい顔で毒づいた。
「狂ったなキルティア、これではエルガデール城は落とせるがソンタール軍が崩壊してしまう。ええい、一旦兵を引け、我々も緩衝地域をつくって、その向こう側に火をかけろ」
 ミハエル侯爵が驚いた。
「何とおっしゃいましたか」
「このままでは私の兵達まで焼かれてしまう。もうエルセントはおしまいだ、こちらから火をかけてキルティアの火を押し戻す」
 ミハエル侯爵が素早く部下に指示を与えて振り返ると、冷静なライケンの瞳に凶暴な光が宿っていた。
「黒い冠の魔法使いが言っていた事が現実になったか。許さんぞキルティア、セントーンの次には貴様も滅ぼしてくれる」

 ・・・・・・・・・・

 地中を旅しているテイリンは、肩にとまっている虫の始祖ジェ・ダンにささやいた。
「あなたの塔の外に竜の仔アンタルとルフーの長レイユルーを置いてきたのですが、彼らはどうしているのでしょう」
(虫達の報告によると、わしらを追いかけて地上を走っているらしい)
 テイリンはちょっと心が温まる思いがした。
「ああ、さすがに彼らだ、彼らに私の言葉を伝える事は出来ますか」
(それは無理だ。虫に伝言を頼む事は出来るが、虫の言葉はアンタルやレイユルーには判らない)
 少し離れた所を歩いていたエイトリ神がその心の声を聞きつけた。
「なぜ私に頼まないのだね」
 テイリンは嬉しそうな顔をしてエイトリ神に頼んだ。
「レイユルーに、ゾック達をタルミの里に呼ぶように伝えてください」
「ならばバルトールの首都ロッグにいる姉のバリオラに直接私が伝えよう、シャンダイアの力が大きくなった今ならば神同士の連絡は早い。彼女のほうがゾックの居留地に近いからね」
「ありがとうございます」
「だがなぜゾックを呼ぶんだね」
「洞窟の中を歩いていて思い出したのです。私が重要な事件に出会う時には必ずゾック達がそばにいました。これからタルミの里で起きる出来事に、彼らも立ち会う必要があるかもしれません」
 神はにっこりと微笑み、歩きながら目を閉じてバリオラ神との交信に入った。そしてしばらくして目を開くと、テイリンに静かにうなずいた。
 しばらく歩いていると、ブツブツと文句を言いながら旅を続けているイサシが鼻をヒクつかせた。
「何か妙な臭いがするな」
 テイリンは手の平の上で輝く魔法の光を振ってみた、すると洞窟の隅がかすかに光を反射してきらめいた。
「水だ」
 テイリンは水に近寄って臭いを嗅いだ。
「本当にかすかな臭いがする。イサシ、良く気がつきましたね」
「暗殺者は臭いにも敏感だからね、おそらくその水には何か危険な物が混じってますよ」
 テイリンが魔女ティズリに目をやるとティズリは目を逸らした。
「ティズリ、あなたは何かを知っていますね」
「知らないね」
 エイトリ神がテイリンの言葉を遮った。
「テイリン、いずれ判る。今は結論を急がなくても良いだろう」
 テイリンは首を振った。
「ティズリが言わなくても判ります、北の大水脈の汚染はメド・ラザードの昔からの計画だったのでしょう」
 ティズリは恐ろしい顔でテイリンをにらむと、何も言わずに歩き出した。

 ・・・・・・・・・・

 剣の王子セルダンと黒い冠の魔法使いは、破壊された北方の都市トルマリムの焦げ付いた岸に着いた。闇の魔法で汚されたような船から岸に降り立ったセルダンは、地面に足が着いたとたんに全身から力が抜けるのを感じた。
「これが魔法が死んだ土地なのか」
 後から降りた魔法使いが答えた
「そうだ、全身がだるくなるだろう。君は知らず知らずのうちに魔法によって支えられてきたのさ」
 そう言った黒い冠の魔法使いの顔も青ざめていた。その時セルダンは背中にゾッとする気配を感じて船を振り返った、すると船の向こうの海面に、七本の腕を持つ巨大な魔獣が立ち上がった。魔法使いが言った。
「あの獣はここに上がる事は出来ない。純粋な魔法の獣だから、魔法が死んだ土地ではすぐに消耗してしまうのだ」
 セルダンは不思議に思った。
「君は今ここにいて魔法を失っている、なぜあの怪物は君から解放されないんだ」
 魔法使いは笑った。
「私が君に勝てばまた私に捕まるからだ、あそこで私達の戦いの結果を見ているのだ」
「もし僕が君に勝てば」
「獣は解放されて、セントーンは滅びる」
 セルダンは険しい顔で魔法使いを見た。
「だから魔法が無くても、僕との戦いの結果はわからないと言ったのか」
「そうだ。さあ、始めようではないか」
 魔法使いは瓦礫の廃墟の中に建ち続ける、細い塔と丸い屋根の巨大な建物を指差した。
「ベクド大聖堂、あそこが戦いの場所だ」
「なぜあの建物を残したんだ」
「すでにここでは神の力は死んでいる。だがもしこの戦いの結果、何かが生まれるのならば、かつて神の力が通った場所だろうと思ったのさ」
「何かって」
「それはわからない、ただ私は未来を感じる魔法使いだ」
 セルダンはうなずいて大聖堂へと足を向けた。

 (第四十一章に続く

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