Author Interview
インタビュアー:[雀部]
真子と鏡
『東京銀経社アンソロジー 真子と鏡』
  • 九頭見灯火編/roncele装画
  • 東京銀経社
  • 4000円(税込)、PDF版・アウトレット品販売中
  • 2026.6.14

【収録作品】○前号インタビュー、◇今号インタビュー
 他の収録作家の方たちも順次インタビュー予定

蒼桐大紀 「世界のすべてとわたしのありか」 ☆ソラリス賞
Yohクモハ 植叢うぇるびーいんぐ」 ☆アニマ・ソラリス賞

秋待諷月 「生き急ぎの幽霊」
七名菜々 「スティール・ストーク・ストローラー」
九住龍 「忘れにし夏」

洛杜きんるい 「フェリスの星」

蒼井どんぐり 「雪宙花火」
渋皮ヨロイ 「最低魔女とマシマシメンメン」
嶌田あき 「プラネタリウムみたい」

八月休希 「タイタンにあがる月」

萬朶維基 「万事調和クッル・シャイイン・フィー・インシジャーム」
柏沢蒼海 「ダイハードマン・コントラクト」

阿下潮 「プラセンタ」
六塔掌月 「真子と鏡」 ☆アニマ賞
雀部 >
さて、『東京銀経社アンソロジー 真子と鏡』収録作の作者インタビュー、今回は「アニマ賞」と「ソラリス賞」に選ばれたお二人です。まずは既に三冊ブックレビューをさせてもらっている蒼桐大紀さんです。今回もよろしくお願いいたします。
九頭見>
蒼桐大紀さんの作品はSFアンソロジーとしての性格も含め、トップバッターに相応しいタイトルです。自由意志を根底のテーマとして隠しつつ、六塔掌月さんの「真子と鏡」に対称させる配置となっています。それは冒頭にも現れています。
 風音が鏡の前に立つという場面から始まる本作は、鏡のなかにある自分とは何かという主題を上手く表現しています。
雀部 >

蒼桐さま、今回もよろしくお願いいたします。

前回と同じく、作品掲載者さまには、以下の質問にお答え頂いてます。

  1. 生年(だいたいでも可。40歳台とか。アラサーとかでも)
  2. お好きな作家・作品(小説・TVドラマ・マンガ・アニメ・映画等々)
  3. 創作を続ける原動力
  4. ご自分の掲載作についての掲載後の感想
  5. ペンネームを使われてますか?
  6. ホームページがある方はご紹介下さい

蒼桐大紀 「世界のすべてとわたしのありか」
  1. 1980年
  2. 秋山瑞人、佐藤大輔、冴木忍、門田充宏、武石勝義、ジェイムズ・ティプトリー・ジュニア。  SFアニメが大好きです。最近の作品では『アポカリプス・ホテル』と『超かぐや姫!』がとくに面白かったですね。
  3. 読者の存在にいつも励まされています。書かずにはいられないからという業にも似たものもあります。
  4. 土壇場の調整にかなり手間取ったので、納得のいく形で掲載できて本当によかったと思います。
  5. 蒼桐大紀(あおぎり たいき)です。
  6. 祀色工房 https://studio-shisiki.jimdofree.com/
蒼桐 >

蒼桐大紀です。この度もよろしくお願いします。
 一人称の小説で主人公の容姿を描写するのに鏡を使うのは、ベタな手法なのですが、主人公の風音が抱いている自分に対するコンプレックスを強調するために採用しました。これは、自分の容姿だけではなく、その容姿が形成されるに至った起源を含めたコンプレックスであるため、ふと内省してしまうのはどんなときだろう? と考えて、やはり鏡の前だと思いました。
 容姿の描写も読者への情報の提示だけではなく、風音が自分をどんな風に見ていて、どんなとらえ方をしているかを踏まえてもらうことで、なるべく彼女と同じ目線で物語を読み進められるように設計しました。
 また、鏡に映った自分の姿を見ることは、他人から自分がどう見えているかを確認し、他者の中にある自分を意識する行為でもあります。作中で風音が言う「わたしのありか」とは、自分がマージナルな(境界性を持つ)存在だと踏まえた上のアイデンティティーのことだとそれとなく提示してみました

九頭見>
冒頭のかごめかごめのシーンも印象的でしたね。
蒼桐 >
風音のトラウマですね。「自分が皆と違うこと」が彼女の人格形成にどんな影響を及ぼして、なぜいまも問いを抱き続けているのか。それを読者に見せる上で、かごめかごめなら見立てを使えると思いました。「後ろの正面だあれ」で後ろを向いたときに繋いだ手と手がある、というのは子どもがやりそうな意地悪だし、風音をつながりから閉め出していることを端的に見せられると思いました。
雀部 >
風音はシリンダーベイビーなので均質化された遺伝子と均質化された環境で育てられたということですよね。そしてそこで「かごめかごめ」という古めかしい遊びが行われていると言うことは、日本人としてのアイデンティティを植え付ける目的もあるのかなと思ってました。
蒼桐 >
それもありますが、風音が生まれた頃にはもうインターネットが気軽に使えなくなっていたこともあって、子どもたちの遊びも先祖返りしていたことがあります。
雀部 >

そうか、ネットがダウンした世界でしたね(汗;)
 「かごめかごめ」は、覚えていた老人の誰かが子どもたちに教えたんでしょうね。
 そういえば、Xのスペースで雑談したときに、九頭見さんから蒼桐さんが何回か改稿されているとうかがったのですが?

蒼桐 >

これは、九頭見さんにも多大なご迷惑をおかけしてしまった大きな反省点なのですが、著者校の段階に進んでから直すべきところに気づいて大きく、そして何度も手を入れさせていただきました。
 私は最終的な紙面の状態を把握しておきたい作者なので、原稿提出前に手元の環境で組版通りに組んでみて調整をするのですが、今回その確認をおこたっていたため、自分の想定と著者校の紙面がかみ合わなかったんです。そして、細かな修正点を出しているうちに、頭が推敲をはじめてしまったためです。
 重複していた説明など物語のテンポにかかわる部分を直せたことはよかったのですが、推敲のやり方について大きな課題があることを自覚させられました。今回、最大の反省点ですね。

九頭見>
字詰め処理を先回りしていたので、「なんか今年のものは、やけに版面がツメツメだな」って気づいたんですよね。
 ほかの執筆者もそれは同じなのですが、版面から入ってくる情報量が違ったんですね。
 だから、これは予感が二通りありました。作業が大変な予感と、傑作の予感が(笑)
雀部 >
二つとも当たり!
蒼桐 >

つい先日、ようやっとアンソロジーを読みはじめて、自作を読んだのですが、まだ読者の目で読めませんね。作品との距離が取れていないです。
 「世界のすべてとわたしのありか」は、書きはじめたときこそ傑作の予感を抱いていたのですが、書き上げてみるとそうした自信がしぼんでしまい、選考に通ったときも若干の驚きがありました。
 ソラリス賞をいただいて、若干その自信が回復していたのですが、著者校作業を通して何度も見直しているうちに原稿との距離が近づいてしまったこともあると思います。

雀部 >
自作を客観的に読むのが難しいということですね。そういう作家の方は多いのでしょうか。今回インタビューした感じでは、いったん手を離れたら読み返さないという方も多いような。
九頭見>
いちど完成させたら寝かせて、改稿する人もいますね。客観的になるために早めに完成させておいて、時間を置いて見直す。公募でもよく聞きます。
蒼桐 >

それとはまた違っていて、公開前の作品を寝かす場合は、作品から距離を取りつつ執筆時の意図を踏まえて推敲する必要があるので、離れすぎてもダメなんです。
 でも、純粋に読者として読むには、そうした執筆時の意図さえも忘れているくらいが良いのです。自分の場合、「これを書いたのは誰だろう?」と思えるようになったとき、ようやく自分の中で評価が定まります。このとき「おもしろいもん書いてるじゃん」と思えれば最高です(笑)

雀部 >
あ、それは私も覚えが。20年くらい前の自分のインタビュー記事を読むと「あ、なかなか鋭いことを聞いてるじゃん」とか思います。今は全然あれですが(笑;)
 アニマ・ソラリス賞に関しては、蒼桐さまには『東京銀経社アンソロジーいつかあの空を越えて』以後、三冊の短編集を読ませてもらって、作品に対する要求度が上がってしまっています(汗;)
 誰も書いてない、誰も想像したことがないユニークな作品を望んでしまうのですよ。
蒼桐 >
難しいです、正直(汗)
 ただ、次の作品を書くときは、自分がこれまで書いていないものを書くようにはしています。それが既出のアイデアであっても、自分が書いたことのないものを書くことで、自分の作風を磨き、できることを増やすことにつながりますから。
 そうした試行錯誤をする中で、自身の世界のあらたな広がりと言いますか、未知の扉を開けるようになりたいと思います。そして、そのときは道標となって、読者の手を取れる作品にしたいですね。
雀部 >
これはもう蒼桐さまが書きたい(書こうとしている)話とは全然関係ないのですが、私はこの物語の設定の方に興味をひかれてしまっています。
 この「うち捨てられた図書館」という魅力的な設定で、SF者が望んでいる展開と言えばですね

1,アニメ『アポカリプスホテル』の出だしの数話のように、図書館のロボット(AI)たちだけの物語が読みたい。出来るならば彼らが静かに狂っていく展開が。

2,機能不全を起こしている図書館に、異生命体が訪れて、滅んでしまった地球人とその文明がどういうものだったかを調査しようとする物語。

3,機能不全を起こしている図書館に、AIの精神分析医(人間またはAI)が派遣されてきて、どこが悪いのか、治療(修理)はできるのか探る物語。

 とまあ勝手なことを言ってますが、「環国際図書館」に様々な人たちが訪れるシリーズも面白そう。
蒼桐 >

今回、関連するアイデアをほぼ出し切ってしまったので、崩壊後の世界における図書館という場でどういうドラマを描くかが鍵になりそうです。
 利用者が来なくなって、定期刊行物が止まって、しかも所蔵資料が劣化しない(!)という図書館なので、誰かが来ないとやることがないんですよね(笑)
 『アポカリプスホテル』といえば、ヤチヨが強制的に休まされる第11話が大好きなんですよ。ヤチヨが仕事という自分の存在意義から切り離された状態で、自分や仕事仲間、ホテルや世界を内省的に見つめる視点も好きなのですが、どうやら致命的な損傷(パーツの消耗?)があるぞ、という匂わせがあってそれが静かに解決される、というまとめ方も大好きなんです。
 こういう静かなドラマを書いてみたいのですが、文章でこういう話をやると起伏が作りにくいので、どうやったら書けるかなぁ……とときどきぼんやり考えます。
 環国際図書館の物語としては、風音が訪れる前のエピソードが一つ二つ浮かびますが、いまはあまり気が乗らないですね。
 こうやって考えてみると、今回の話で書きたいことは書き切れたのかもしれません。

雀部 >
必要に応じてマイクロマシン製の紙の本を出力するというアイデアは、逆転の発想でなるほどと感心しました。実用化している施設等があったりしますか?
蒼桐 >
自分が知る限りないですが、国立国会図書館のコピーサービスが近いかもしれないですね。というか、このアイデアはそもそも国会図書館の地下書庫で、戦前・戦中の古い未登録資料の目録作業をしていたとき思いついたものなのです。劣化してぼろぼろの資料に触れているうちに、これを紙と同化できるマイクロマシンで修復できないだろうか? と思って「機形紙(マイクロマシンでできた紙)」という走り書きのメモを書いたのが原点です。
雀部 >
3Dプリンタもありますしね。
 “自分でも非合理的な行動だと認識していながら、シミュレートをやめることができませんでした”という部分には痺れました。なんかありそうで怖い(汗;)
蒼桐 >
千里が擬似的に感じている不安ですね。実務経験が浅いので、自分が性能を発揮できるか確証が持てないんです。千里はレクシスという思考制限のない高度なAIなのですが、このレクシスの最も深いところにある行動規定が「可能性を模索する」というものです。
 そのため、千里は想定を変えて何度もシミュレートを行う中で「もしかしたら対応できない事例がでてくるかもしれない」という可能性を考慮してしまって、そういう事態を事前に把握しておこうとしてシミュレートを繰り返してしまいます。
 これは、人間で言うところの「ダメだったらどうしよう」「ミスをしたらどうしよう」というネガティブ思考をなぞっている状態で、それを打ち消すだけの過去の実績が千里には足りてないのです。そういう意味で、千里はかなり人間らしい思考を持つようになっています。
雀部 >
セントラルコアの「環」と色々やり取りをした結果でしょうね。千里だけだったら、煮詰まってとっくに作動不能になってそう。
 シリンダーベイビーが単なる生体兵器として生み出されたのなら、一番優れた個体のクローンを大量生産すれば良いのだから、差別に繋がる違いがあるのは何故でしょう。
 そこに精子と卵子の提供者(もしくはシリンダーベイビーの管理者)の思いが込められているとは考えられないでしょうか。
 パンデミック後の世界を託す若者たちに多様性を与えることで、何を期待しているのか、疑問は続きます……
蒼桐 >

千里が対等に話せる環という相手を持っていたことも関係していて、二体は図書館の中で最小単位の社会を形成していました。ところが、二体しかいないので、互いを相対化して見ることができない、というところが落とし穴になっていました。環は多くのデータを扱えるアドバンテージがあるので、この問題に気づいていて、テコ入れを試みたわけです(笑)
 シリンダーベイビーについては、元来ヒトクローンの規制が厳しい日本(すでに規制法が実在します)で規制緩和されたことを踏まえても、同一人物の作成は許容されないだろう、という想定がまずあります。そうした中で「シリンダーベイビーはクローンではない。あくまでも体外受精児である」という屁理屈を押し通した人たちがいたわけですね。
 その上で、仮に法的な枷を外せたとしても、同一個体を量産すると個々を区別する必要が出たときに面倒なことになりますし、クローン側に「入れ替わり」トリックなどを使われるリスクもあるからです。
 それから、クローンにして均質化してしまうと、戦争が終わってクローンたちが子どもを望んだ際に近親交配で未熟児が生まれるリスクが高まる、という問題もあるからです。もともとシリンダーベイビーは、日本人の減少を補うために作られたので、日本人でありつつ多様性が生まれるのであれば、それは歓迎すべきことなのです。
 というか、それがシリンダーベイビーが作られた本当の理由だったわけで、ナノ・パンデミックと世界紛争の勃発ですべてが狂った結果、兵器として扱われることになりました。シリンダーベイビーに多様性が生じるように作られているのは、最後に残ったひとかけらの良心ですね。

雀部 >
解説ありがとうございます。解説を踏まえて読み返すと、細部まで練られた作品だということが良く分かり、面白さが増してきますね。管浩江先生のおっしゃられる「伏流水」のような背後にある設定が、物語を豊にしていると感じました。
 ところで、蒼桐さまは、出版前の改稿に際して、巻末の「真子と鏡」は読まれたのでしょうか。
蒼桐 >
読んでいました。六塔さんの作品は、「真子と鏡」に至るまでの作品を定期的に読ませて頂いていたのですが、その中でも頭ひとつ抜けているのではないでしょうか。
 「真子と鏡」は、クライマックス付近の鏡写しのシーンが好きなのですが、九頭見さんが「世界のすべてとわたしのありか」と対応する関係にある、と仰っていたのはこういうことか、と思いました。蒼桐が「自分の中の他者の存在を意識する」というアプローチを取ったのに対し、六塔さんは「他者の中の自分を意識する」というアプローチを取っていることがわかりました。
雀部 >
あ、そのアプローチの違いの分析、さすがです。私は言語化出来てなかった(汗;)
九頭見>

ぼくも何となくで考えてました。言語化さすがです。

六塔 >
自分の分身と対立してしまうという話は昔から巷でよく書かれてきました。ポーの「ウィリアム・ウィルソン」やアンデルセンの「影」などがそうです。僕は今回の「真子と鏡」では、主人公が自分の分身と対立し、和解するまでの話を書いたつもりです。
雀部 >
六塔さま、コメントありがとうございます。なるほど、分身との対立・和解なのですね。
蒼桐 >

ちなみに、改稿に際して一番影響を受けたのは「植叢(うぇる)びーいんぐ」で、「あ、こういう終わり方をするなら、最後の一文を取ったらだめだ」と思い直しました。九頭見さんが読後感のバランスも意識されて、編まれていることを思い知らされましたね(笑)

九頭見>
入りと抜けの印象は、気を使ってますね。音楽のプレイリストの作り方に近いのかもしれないです。
 原稿を受け取って、原稿一つ一つには、全体の印象をひとつ上のレイヤーで記憶しておくようにはしてます。選考時にきちんとみなさんがPDFファイルで仕上がりイメージを決めて持ってきてくれる要素が大きいんですけどね。
雀部 >
編集作業も奥深い(嘆息)
 『散りし花の残り香に』ブックレビューの時にも話題になった「Xのスペースでの『真子と鏡』関係者の雑談」でうかがった時に、執筆者の蒼桐さまが、二番目に掲載の短編「植叢(うぇる)びーいんぐ」にも配慮して改稿を考えていたというのはアンソロジーとしては、かなり珍しいですよね。
九頭見>
ふつうは、前の作品を考えますが、トップバッターなので(笑)。後ろの「植叢びーいんぐ」だったのかなという気がします。
 蒼桐さんは、「いつかあの空を越えて」のときと同じでどこか俯瞰的にアンソロジーを考えてくれているようでしたし、
 その辺は信じようかなと思いました。ただ、制作の裏話で、蒼桐さんが「植叢びーいんぐ」を読んだというのも、入稿ぎりぎりでした。
 なので、最後の一文問題は、最後は作家に託したというのが大きいですね。
蒼桐 >
配置順を見たとき、前回の「月経樹」の印象が強かったので、自作も突き放した終わり方にしたほうがバトンが繋がりやすいかな、と思ったのです。
 ところが、「植叢びーいんぐ」を読んでみたら、剛速球なのは確かなのですが、終わり方が静かでとても優しかったんですよね。生の実感に希望を持てるような感じがして、そこは自作とも相通ずる部分だと思いました。
雀部 >
知らずに託されたバトンが見事に!
 蒼桐さま、今回もインタビューにおつき合いいただきありがとうございました。

六塔掌月 「真子と鏡」
  1. アラフォー
  2. 村上春樹、三島由紀夫、ヘミングウェイ、ディック
  3. 創作を続ける原動力 承認欲求
  4. 悪くなさそう
  5. はい
  6. https://riktoh.hatenablog.com/introduction
雀部 >
アンソロジーの表題作「真子と鏡」は、編纂のわりと早い時期からメインに据えようと考えられていたとうかがいましたが。
九頭見>
割と早めに届いていたんですよ。それでその数作のなかから、これだったら表題作を任せられそうだし、何か普遍的なものもキャッチできそうで。あとの作品も、そういう流れの作品が揃ってきたというのがあります。これが不思議でした。
 かなり出たとこ勝負(笑)
六塔 >
僕は「真子と鏡」の着手前に長篇の『アラタ』を書き終えていました。それで次はどうしようかなと考えていたところで九頭見さんの応募を見たので、以前から温めていたテーマで短いものを書こうと決めました。「影と鏡像」というテーマを長い間ブログで書いてきたので。
雀部 >
六塔さまの『アラタ』は、『東京銀経社アンソロジー いつかあの空を越えて』ブックレビューの時に読ませて頂きました。主人公が死刑執行人が生業というヘビーな題材を扱っている割には、登場人物が無機質な感じがして不思議な読後感でした。読んでいて、その無機質(無感動)さが、死刑執行人には必要な資質なのだろうなと感じさせるストーリー展開が良かったです。
六塔 >

『アラタ』の主人公は自分の心を殺しながら生きています。そこに本当に好きになれるヒロインがあらわれることで、人生に変化が起こるというのが主となるストーリーラインです。

雀部 >

同じ時に『暗黒』も読ませて頂いたのですが、こちらは、他人の手足を売り買いしている店の小間使いの少女が主人公です。今回アマゾンでチェックしたら、無くなってました。Kindleの中には入ってるので、読めるのですが。

六塔 >

『暗黒』はnoteで公開しました。この作品の主人公も『アラタ』と本質的には同じで、過酷な状況下で自分の心を殺しながら生きています。どちらの作品も首の切断ということが大きなモチーフとして取り上げられているところも同じですね。『アラタ』は『暗黒』の発展版であるということが言えると思います。

雀部 >

首の切断、確かに。『暗黒』のほうは、『アラタ』とは反対に、切断されたパーツをつなぎ合わせたら首だけがなく、それでも生きかえった(?)少女が出てきますね。
 百合系の物語を多く書かれていますが、なにか理由があるのでしょうか。
 蒼桐さまからは、「若い女性を多く書いているのは、自分から遠い存在を書くことでキャラクターと作者を引き離せるようにしているから」とうかがったことがあります。

六塔 >

僕は「高野書店」や「遠くへ」といった作品で男性を主人公にしたことはあります。それはそれで書きやすかったですね。男性を主人公に据えると、主人公の気の持ちよう、それはつまり執筆中の自分の気持ちにも重なるのですが、それがシンプルになります。二重にならず、一枚岩になるという感じがします。
 一方で女性を主人公にすると、気持ちの持ちようが二重になります。本心ではあることをしたい、けれども同時にそれを強く恐れているといった、矛盾した心のあり方を書きやすくなります。「アラタ」などではそれが顕著だと思います。彼女は職務をまっとうするという使命感と人を殺したくないという思いの板挟みになっています。

雀部 >
当然といえば当然ですが、執筆者によって色々とあるのですね。
 「高野書店」は本屋とキメラ本、「遠くへ」は図書館と読書と、どちらも本にまつわる、ラストが意味深な一話完結の物語です。この二作品と、『アラタ』のなかの作中作的な〝両腕のない女〟のエピソードからは同質の印象を受けました。あ、「泣いている人を探す」の智子の「面白い話」からも。ここらあたりは、意識して書かれているのでしょうね?
六塔 >
「両腕のない女」は話中話です。当然、本編ほど事物の輪郭は明確に語られません。そこらへんが一万字の短編と通じるところがあるかもしれません。一万字だとやはり作中から描写は減り、話の筋だけを書く格好になります。
雀部 >
六塔さまの物語の多くは、「生と死」「愛」等の根源的なテーマを扱っているにもかかわらず、敢えてラストを盛り上げない、読者にカタルシスを与えないようにしているのではないかとおもっているのですが……
 「三〇七番」という、監獄で雑用をこなす少女と囚人の物語の中で、「物語に意味はいらないんだ。物語は乗り物で、それに乗ってドライブをすることが肝心なんだ。目的地はどこでもいい」と囚人に語らせています。この言葉は、いみじくも六塔さまが、ご自身の作品について語られているのではないかと感じました。
六塔 >

「アラタ」は確かに一部はわかりやすい結末ではないかもしれません。カタルシスはあるけど、それがすぐに打ち消されるような話の持っていき方になっています。何もかもに決着がつくようにはなっていません。
 一方で二部は、自分としてはわかりやすい、すべてが解消するような結末になっていると思います。
 「三〇七番」についてはご指摘の通り、カタルシスを徹底的に否定した作品です。あれは読み終えた直後は、読者は「なんだかよくわからない話だったな」と感じるのではないでしょうか。でも数日後に作品を思い出して、じわりと来るというか「あれって実はよいところもあったんじゃないか」と思ってもらえるようにしたいなと考えて作りました。

雀部 >

やはりそうでしたか。
 六塔さまの作風は、ファンタジーぽいところもあるのですが、純文学的な根っこがあるように感じてます。まあ、お好きな作家とか作中に出てくる小説からもそれはうかがうことが出来るのですが。
 私は詳しくはないのですが、小説の中で表現形式が一番先鋭的なのは純文学ですよね。

六塔 >
「純文学」と言うと日本の文学に限定される気がします。実は僕は日本文学は三島由紀夫と村上春樹しか読んでいません。読んでいる量は海外文学の方が多く、読んだ中で先鋭的だと思ったものはカフカの「城」やヘミングウェイの「日はまた昇る」、プルーストの「失われた時を求めて」やウルフの「灯台へ」などです。
九頭見>
六塔さんの作風は、純文学の力学的な構造を、考え抜いて抽出し、その結実としてドラマを作っているところが面白いです。ブラインド・パイロットでは、すでに何かの先行作品を取って、書かれたという話も聞いていました。
 純文学的でありながらも、その文体はそこまで難しくない、むしろライト層にも響くデザインになっていると感じます。それは構造的な強さと美しさが備わっているからでしょう。そうした意味で、純文学とファンタジーあるいはSF、ライトノベルにも親和性があると思います。
六塔 >
九頭見さんのご指摘はありがたいですね。僕が狙っているのはまさにそういうことです。僕が一番尊敬している作家は村上春樹ですが、彼は既存の古典の構造を見抜き、構造のレベルで換骨奪胎をするのが得意です。たとえば「海辺のカフカ」には独特のメタファー技法が用いられていますが、これはプルーストの「失われた時を求めて」におけるメタファーの構造を解体し、村上春樹なりの思想や哲学を込めて新たに再構築したものです。そういうやり方に僕は惹かれます。
雀部 >

九頭見さん、フォローありがとうございます(汗;)
 すみません、純文学的というのは、SF・ファンタジーと対比して、「娯楽作品ではない。エンタメを追求してない」という意味で使ってます(汗;)
 「Hatena Blog」の「『真子と鏡』」を読む」で自作について語られているのを読んで、純文学的だなあと感じたのもあります。←これ以上うかがわなくても良さそうではありますが(汗;)
 挙げられた作家の中では、三島由紀夫の「美しい星」やカフカの「変身」とかは、ファンタジー要素もあって読みやすいのですが、娯楽作品とは言えないような。
 ともあれ、どちらも読んだ後で、事象に対する認識が変わったり、世界観・人生観が変わるような作品が読みたいことに変わりはないですが。
 で、私の中では「真子と鏡」と「塔」は、六塔さまの作品の中でベスト2なのです。どちらもSF者にも優しい。←個人的感想です(汗;)
 「真子と鏡」は、ファンタジーでは収録作のトップだと感じたので「アニマ賞」に選ばせて頂きましたし、「塔」は、処刑による自死を望んでいる二人の女性が主人公という、『アラタ』とちょっと似た設定ですが、結子と咲耶の細やかな心の動きの描きわけが見事で物語に引き込まれました。
 この二作品は、より読者を意識して書かれたということはあるのでしょうか?

六塔 >
雀部さん、たくさん自作をお読みいただき本当にありがとうございます。「アラタ」はだいぶ読者にわかりやすい物語の運びになっていると思います。やりたいこともちゃんとできたので、僕はこの作品を書けて良かったと思います。実は今ボイルドエッグズ新人賞で一次選考を通過したところです。
 一方で「塔」はだいぶ未熟な感じになってしまったと思います。何が言いたいのかわかりにくい作品になりました
雀部 >

そうなんですね。私は「塔」のほうが読みやすかったのですよ。
 すみません、まあ好き好きと言うことで(汗;)
 あ、一つ聞き忘れていたことが。『東京銀経社アンソロジー いつかあの空を越えて』のブックレビューで「ブラインド・パイロット」は、“ホテルの設定は宇宙船でSFとして送られてきたものを、改稿されて、現代劇となった”とうかがったのですが、これは何故なのでしょうか。SFファンとしてはちょっと残念な気がして(笑)

六塔 >

そもそも僕は現代劇の方が得意なんです。創元SFの短編賞に送るにあたってSFにしましたが、陳腐な気がしてやめました。ホテルの方がよくテーマを表現できていると思います。

雀部 >
創元SFの短編賞の応募作だったのですか、なるほど。
 今回はお忙しい中インタビュー、ありがとうございました。
 色々と想いが及ばないところが多々ありましたでしょうがご容赦下さいませ。
 賞レース、「アラタ」の結果をお待ちします。
 今日になって気がついたのですが、カクヨムの『引き裂かれた世界の冒険』の続きも気になっているので、よろしくお願いします。
六塔 >

こちらこそありがとうございました。
 自分の創作の姿勢について把握するきっかけにもなりました。『引き裂かれた世界の冒険』は実はもう一年ぐらい続きが書けなくて放置している状態です。いつか続きが書けたらいいなと思っています。以上です。

[雀部]
 六塔さまの掲載誌の情報は、以下にアップしています。
 六塔掌月先生の作品掲載誌
[九頭見灯火]
〔生年〕1989年 〔好きな最近のアニメ〕ガンダムGQuuuuuuX
〔ペンネーム〕カクヨムではカクヨムSF研@非公式を名乗ってます。  アニマソラリスでは小林蒼、Twitter、アンソロジー編集のときは九頭見灯火、公募の際は九住龍。怪人二十面相みたいですね。 いつも短編を読んでくださっている読者のみなさん、ありがとうございます。  
サークル東京銀経社 東京銀経社 - BOOTH
『東京銀経社アンソロジー 真子と鏡』PDF版アウトレット品
[蒼桐大紀]
「あおぎりたいき」。1980年生まれ。エンタメ寄り作家。 2003年頃から執筆活動を開始し、小説、詩、歌詞(作詞)などを発表していたが、病気により休筆。2020年から執筆活動を再開し、SF、青春、百合、ファンタジーといったジャンルの作品を書くようになる。2024年『カンナ~いつか君と奏でた唄』でノベルアップ+年の差恋愛短編小説コンテスト佳作入選。このほか『東京銀経社アンソロジーいつかあの空を越えて』『SFG 2023 Vol.06』などSFのジャンルから進出中。
個人サイト:「祀色工房 STUDIO SHISIKI」
[六塔掌月]
人語を解する猫です。日々、呼吸をしております。
https://riktoh.hatenablog.com/introduction
『東京銀経社アンソロジー 真子と鏡』 BOOTH
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