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Author Interview

インタビュアー:[雀部]

『超短編の世界』
> タカスギシンタロ監修/西岡千晶カバーイラスト
> ISBN-13: 978-4434119927
> 創英社
> 1100円
> 2008.6.25発行
 わずか数百文字で綴られた、さまざまな「恐怖」のカタチ。
 『お見世出し』で、日本ホラー小説大賞・短編賞を受賞した森山 東をはじめ、松本楽志、たなかなつみ、赤井都、タカスギシンタロ、峯岸可弥など、手練の書き手が集いました。
「カラダ」「ココロ」「セカイ」のカテゴリでそれぞれの恐怖を描きます。

『超短編の世界〈vol.2〉』
> タカスギシンタロ監修/西岡千晶カバーイラスト
> ISBN-13: 978-4434134845
> 創英社
> 1100円
> 2009.9.18発行
 さまざまな「笑い」の超短編小説。第一四一回芥川賞候補の戌井昭人、「プロペラ犬」の脚本家・楠野一郎、小劇場を代表する女優・澤田育子、映画・ドラマで活躍中の脚本家・なるせゆうせい…に加え、日本ホラー小説大賞・短編賞受賞者など、曲者作家をずらりと揃えました。

『超短編の世界〈vol.3〉』
> タカスギシンタロ・松本楽志・たなかなつみ編/西岡千晶カバーイラスト
> ISBN-13: 978-4434153556
> 創英社
> 1400円
> 2011.2.7発行
 短編より、短い! 短編より、面白い!
 想像力をかきたてる、新しい文学体験!
「恋」をテーマに500文字以内で描かれた「ものがたり」を集めました。小説のような、詩のような、俳句のような......不思議な「超短編」の世界へようこそ。

雀部> 今月の著者インタビューは、2月に出た『超短編の世界 vol. 3』の編者であられるタカスギシンタロさん、松本楽志さん、たなかなつみさんです。皆様よろしくお願いします。
 「アニマ・ソラリス」は、超短編とはけっこうご縁があって「特集記事」もありまして、お三人の超短編も収録されています。
タカスギ> あっ、当時のぼくの名前はローマ字表記だったんだ。「峯岸可弥」さんは「めいにち」だし「ひかるこ」さんは「とくだまり」だし、なんだか名前の表記が今と違う人が多い。時の流れを感じますね。
楽志> こんにちは、よろしくお願いします。特集ありましたね。当時、超短編のご縁で直接お会いしたこともありますよね?
 そのときに「アニマ・ソラリス」のCGを印刷した空CD-Rをいただいた記憶があります。もったいなくて使わないままです(ぜんぜん関係ない話)
たなか> よろしくお願いします。超短編特集、懐かしいです。まだ、活動の中心が、ASAHI ネットの超々短編広場と、メーリングリストだったころですね。
雀部> 2000年8月号(第3号)での特集でしたから、かなり前ですね。
 空CD-R、私も使ってません(笑)
 『超短編SENGEN』が出たときには、本間祐さんにもインタビューさせて頂きました。うわぁ、もう9年も前なのか。
たなか> 2000 年ということは、20 世紀じゃないですか! 超短編は世紀を越えちゃってたんですね。ちょっと感動です。
 『超短編 SENGEN』が刊行されたときは、わくわくしました。それまではずっとオンラインでの活動で、そういうことも当時は目新しくて、とても魅力を感じていたんですが、本になるというのは、それとは別の、大きな感慨がありました。本のかたちって、わたしにとって、たぶんあのころもいまも、特別なものなんだと思います。て、電子書籍元年を過ぎて、何を言っているのかと思われそうですが。(笑)
 インタビューもなんというか、なめるように読みました。わたしにとって超短編というのは、そのころ、やっと見つけた! という創作形態だったので、超短編に関するものに飢えていたというか、超短編につながるものが、とにかく読みたくて仕方がなかった時期だったので。
雀部> 現在進行形の表現形態ということですね。
 今回は『超短編の世界 vol. 3』が出て、しかも段々厚くなっている(笑)ということで、超短編というムーブメントはまずまず順調に推移しているのでしょうか。
タカスギ> 21世紀初頭、本間さんの『超短編アンソロジー』が出版され、東京や大阪での朗読会、ギャラリーでの展示など、超短編のムーブメントは大いに盛り上がっていたんです。ところがその盛り上がりは、本間祐さんの休筆宣言で一気にしぼんでしまいました。
 ようするに、本間さん以外の書き手の層が、まだまだ薄かったのだと思います。しかしここで、いくつかの動きが現われて来ました。メーリングリスト内の内輪の試みだった超短編の競作が「500文字の心臓」というWebサイトに発展。多くの書き手を生み出すきっかけとなりました。
 また、ぼくと松本楽志は「超短編マッチ箱」という超短編専門の同人誌を創刊し、文学フリマでの販売を通して、多くのひとが超短編に興味を持ってくれたと思います。『超短編の世界』(創英社)が出版されたときも、西荻ブックマークでイベントを組んでもらいました。こうしてじわじわと超短編人気が盛り返してきたように思います。
雀部> 「超短編マッチ箱」ありましたね。装幀もちっちゃくて可愛かったです。この本は、たなかさんに送ってもらいました。『超短編の世界』関連のイベントがあったとは知りませんでした。
楽志> 順調、といいきってしまうのは抵抗がありますが、やっとここまで来たという感じはありますよね。ただ、だいぶん外的要因に助けられている感じはあります。自分の観測範囲という大きなバイアスがあることを予め断っておきますが、僕は「てのひら怪談」のムーブメントがかなり超短編にも影響を与えているんじゃないかと思っています。「てのひら怪談」というのは評論家の東雅夫さんが中心となった短い創作怪談のムーブメントですが、長さが800文字で超短編に非常に近い。作品を読んでいてもどう見てもこれは超短編だ、という作品があったりするんです。
 もともと「てのひら怪談」というのはネット書店であるbk1で夏の競作企画的に始まったもので、僕は初年度から参加しているのですが、四年目あたりから超短編の書き手がだいぶ参加されました。
 逆に、てのひら怪談の書き手が超短編を書いてみてくれたりと、書き手側の事情だけで見ても、てのひら怪談という存在が超短編のムーブメントに与えた影響は大きいかなと思います。我々は編集も企画も素人なので、てのひら怪談のようなプロの方のやりかたは、ムーブメントをもり立てる手法としてたいへん参考になります。
雀部> なんと、怪談ものの超短編もあるんですね。
たなか> 「超短編マッチ箱」は、今後も刊行が予定されていますので(ですよね? タカスギさん、楽志さん)、新刊が出たらまたぜひ読んでください。
 『超短編の世界』刊行時の西荻ブックマークでのイベントでは、佐藤弓生さんをお迎えして、佐藤さん、タカスギさん、楽志さんという 3 人での対談と、超短編作家による朗読、公募した超短編の選評会が行われました。わたしはこのときスタッフじゃなかったので、参加者として作品を投稿したりして、当日は客席にいたんですけど、この公募のお題がちょっと面白くて。山下昇平さんがつくってくださった手のオブジェがテーマだったんです。イベントに先立って、web 版「超短編マッチ箱」に写真がアップされて、それを見て作品を書いてね、という。難しかったですけど、楽しい試みでした。
雀部>そういえば、もうすぐ―5月14日(土)―西荻窪の「beco cafe」というブックカフェで、タカスギさんと楽志さんが主宰されるイベントがあるんですね。
タカスギ> 今回のイベントは「超短編ってなに?」というような人を対象にしたものです。物語を書いたこともない人だって、500文字くらいだったら何かひねり出せると思います。まずは「超短編って、こんなに簡単に書けるんだ」ということを知ってもらって、少しでも超短編ファンを増やしたいというのが狙いです。これからもこういった普及の取り組みを続けていこうと考えています。
楽志> いままで書いたことのない方が面白い作品を書くというのは普通にありますよね。短編小説、となると物理的な時間も必要ですし、技術的な部分がどうしても要りますが、超短編はそういう部分の許容度は高いです。多少破綻していてもそれが面白かったりしますし。愉しみにしています。
雀部> なるほど。間口を拡げるイベントなんですね。
たなか> イベントに関連してもうひとつ。
 甲斐祐子さんと菱田盛之さんという、関西を拠点に声のお仕事をされている方々なのですが、そのおふたりがパーソナリティとして、「よみラジの時間」というネットラジオを始められまして、その第 1 回目で、わたしの作品、「歩み」(一部抜粋)と「夜へ、夜へ」 を朗読してくださいました。
 あわせて、超短編について甲斐さんがご紹介くださり、『超短編の世界』についても触れてくださいました。
 まだ第 1 回目ということで、手探り状態の雰囲気がありますが、よろしければお聴きください。
雀部> たなかさんの作品が、記念すべき初回に読まれるのは凄いですね。
 いわゆる「ポッドキャスト」ってヤツですね。ネットでプロの方の朗読が聞けるのはうれしいなぁ(喜) それと、読み方とか感想も聞けて面白かったです。
 たなかさんは、自分の作品を音読して、ここは響きが悪いから変えてみようとか考察されるんでしょうか。
たなか> 実は音読はしないんです…… 口のなかで呟く程度で。でもきっと、音読をすると気づくこともあるでしょうから、したほうがいいんでしょうねぇ。うーん。
 でも、音の響きと文字の並びについては、やはり意識していて、推敲時にかなり考えていじります。読んだときに頭のなかで流れるリズムと、目で見たときの語の配置ですね。漢字・ひらがな・カタカナの別ですとか、擬音語や擬態語の挿入・選択、音引きや感嘆符・疑問符のあるなし、句読点や改段の位置、カギを入れるか入れないか、など。語彙自体も、類語をあれこれ当てはめて、かっちりはまったと思われるものを選びます。推敲のときの作業はパズルっぽいですね。(笑)
 今回、「よみラジの時間」で拙作を読んでくださったのをお聴きして、普段から声を出して読むことを想定されている方との、作品に対するとらえ方の違いが見えて、面白く思いました。擬音語・擬態語やリフレインって、わたしはかなり好きで、よく使っちゃうんですけど、なるほど、読まれる方にとっては、チャレンジしてみたいハードルになるのか、とか、そんなことを考えました。
雀部> 「よみラジ」の中で、たなかさんの『超短編の世界 vol. 3』に収録されている「踊りたいほどベルボトム」の音読したときの語感がとても素敵とかいう話も出て、私もどういうベルボトムなのか色々想像しちゃいましたよ。私らの世代だと、五郎とか秀樹(新御三家の)がはいていたようなヤツかなぁと思ったり(笑)
たなか> あの作品のタイトルなんですが、実は、わたしが自身でつけたものではないんです(笑)。先にタカスギさんが、峯岸さんが運営されている競作サイト「超短篇・500 文字の心臓」を紹介されましたけど、そこで行われているのは、同一タイトルによる競作です。つまり、各回、ひとつのタイトルがお題になって、競作参加者は、そのタイトルに合わせた作品を投稿するというものです。で、「踊りたいほどベルボトム」は、メーリングリスト時代の競作時にお題になったタイトルだったんです。タイトル案を出したのは、峯岸さんだったように記憶しています。
 わたしは当時、今とは比べものにならないぐらい、お題のある創作というのが苦手で。「踊りたいほどベルボトム」がお題になったときも、悩みに悩んだ挙げ句、よし、「踊りたいほどベルボトム」の具体的な描写はあえて避けよう、と考えて、書いたのが件の作品です。なので、読まれた方が、どんなベルボトムなのか妄想してしまう! と感じられたとしたら、ある意味、してやったり、なのです(笑)。でも、競作時には、選評してくださった参加者の方々からことごとく、わたしのその逃げを見事に看破されまして(笑)。そのときに、競作というか、タイトルに対する自分の姿勢が変わりました。タイトルと本文との距離を、もっと真正面から考えていかなくちゃ、と。
雀部> はは(笑) では、皆さんの感じられている、超短編の魅力についてお聞かせ下さいませんか。
タカスギ>  書けば書くほど遠ざかってしまう感覚というのがあって、やはり「あっ」と驚く感覚というのは「あっ」という短さの中にしか存在し得ないと思うのです。それが表現できるのは超短編だけだと感じています。もちろん詩にもそういったことは出来るんだろうけど、超短編は多くの人にとって詩よりも取っつきやすいと思います。なにしろ不完全とはいえ、いちおう物語ですから、なんとかついて行ける(笑)。
楽志> 超短編のもつ「歩留まりの良さ」みたいなものが好きなんですよね。書いてある文字数に比べて、描き出された世界が広い。文字/世界比が大きいものを読むと、とっても得した気分になるのです。
たなか> 短い文字数では語りきれない物語世界の向こうまでを読む楽しさ、でしょうか。描写を刈り込んで、いきなりクライマックス、という体裁も、いらちなわたしには合っているような気がします。(笑)
雀部> その魅力は、お三方の作風にも現れているような気が……(笑)
タカスギ> 超短編って、短さの中に無限の広がりが表現できると思うのです。大豪邸ではなくて、茶室の感覚。必要最低限の機能もないけれど、なにか現実を超えた大きな世界を感じさせるというか。だから作品を作るときも一気に全体を捕まえるようにしています。作品によって長さが300文字だったり500文字だったり20文字だったりしますが、たいてい一息に全てが出来ます。
楽志> 超短編を読んだり書いたりするようになって、「全体」と「部分」のことをよく考えます。作品全体のめざすべきところが、その部分と響き合ってるかどうか、をです。
 僕は元々ミステリ読みなのですが、本格ミステリというのは、ものすごくおおざっぱに言うといろんな伏線が解決編で回収されることを愉しむ小説なわけです。目指すべきところは「解決編」による爽快感、です(基本は)。その解決編にとって意味のある「伏線」が、それまでの道行きの中にいかにさりげなく隠すか、というところに書き手の苦心があって、それがうまく出来ている作品が評価が高いわけです。
 ミステリ以外の小説だって抽象的に言えば同じで、結局、全体の目指すところに対して、部分部分に意味があって作品が組み上がっていく。ただ、部分部分がただパーツとして散らばってるのではなく、その前後の短い射程の中でも意味を持っている、それがどれくらいうまく出来るかで作品の評価って決まってくるんじゃないか、って思ってるんですよね。
 僕の超短編の評価軸も同じなので、書くときもそれを意識しています。
 超短編ができるときは、いろんなかたちでできます。変なイメージがあってそれの前後に言葉を足していくと、流れが出来て作品が出来るときもありますし、イメージが、ひとつのセンテンスから始まったりもしますし、仕掛けを思いついたりすることもある。大きな世界を先に想定してそれを切り取ってみることもある。ただ、どの作り方でも、全体と部分の呼応を必ず最後に考えます。このセンテンスは作品全体で言いたいこととどう関係するのだろう。この単語はどうか。この改行は?
みたいな感じです。同じ意味の語句を使っても、漢字の選択によって全体に奉仕するものもあればそうでないものできてくるので、そんなことをずっと考えてこねくり回しています。
 ただ、僕の能力の限界で、いつまでたってもどこかに歪みが残ってしまい、完成しないのです。なので、結局、適当なところでリリースすることが多いです(笑)。
たなか> わたしは「アニマ・ソラリス」で数十枚程度の短編も発表させていただいているんですけど、超短編魂のようなものが短編にもにじみ出ちゃっている気はします。たぶん、その辺は、短編を書くにあたって、自身、もっと考えないといけないことだと思うんですけど。超短編の書き癖で短編を書いても、短編の体裁としては良くないんじゃないかと。短編書きとしてはまだまだ未熟です。はい。
 でも、わたしの場合、超短編と短編とでは、実際に書くときの作業は全然違うんですよ。自分にとっての超短編的テーマを思いついて、それをストレートに文字に起こすと、800 〜 1,200 字ぐらいになっちゃうことが多いです。そこから文字を刈り込んで、超短編のかたちにととのえます。一稿目を見返すと、冗長かなと思う表現が結構見つかっちゃうんです。なので、最初は思い入れがあって書いていたはずの言葉、例えば、背景描写や台詞、擬態語・擬音語のリフレインなんかを、もうばんばん削っちゃう。悶えながら、ですけど(笑)。そうして、500 字以内におさめてできあがった作品を読みなおすと、一稿目よりもずっとおさまりがよかったりするんです。輪郭がくっきりしてくるのかな? 刈り込まずに、1,000 字を超えたままの作品も、わたしは発表しているんですけど、やっぱり、刈り込んだ作品と刈り込まない作品とでは、読み返したときの印象は随分違うように思います。
 でも、その、超短編にとっては「冗長」とも感じられる表現が、短編を書くときには、とても重要なんじゃないかと感じています。物語世界のディテールを膨らませるために必要だと思うので。だから、短編を書くときには、超短編ではあえて省略する描写を重ねる工程を積みます。逆に、超短編はそこをあえて書かないことで、物語世界の広がりを別方向にもたせることができるんじゃないかなと思っています。
雀部> やはり三人それぞれ超短編の書き方が違うんですね。『超短編の世界 vol. 3』では、53人の作者の方それぞれの世界がぎっしり詰まっている感じを受けました。
 そういえぱ、さきほど楽志さんがご紹介下さった『てのひら怪談 ビーケーワン怪談大賞傑作選』の解説で、京極夏彦先生が“本書は決して一人の人間には書けない本なのである。”と書かれていて、全くだなぁと感じたのですが、同じことがこの『超短編の世界 vol. 3』に関しても言えると思いました。
楽志> これもそのとおりで、あるひとりの作家の傑作選はそれはそれで一つの世界として面白いと思うのですが500文字で描ける「世界がたくさんある」という驚きがあるのはやはり多作家の作品を収録させていただいたからこそですね。
雀部> それと超短編はその短さ故に、読者の想像力に委ねられた部分も大きいように感じているのですが。
たなか> そこが魅力だと思っていただきたいんですけど(笑)。でも、超短編的読み方をしなきゃ、って、「正解」を追い求めるつもりで読んで、「わからない」と感じてしまったという感想をいただいたことはあります。
 でも、実際のところ、どう読んでいただいてもかまわないんじゃないかなと思うんです。この話、なんか変ー、とか、よくわからないけど、このフレーズはなんとなく好き、とか、そんな感じで読んでいただいてもいいんじゃないかと。
 例えば、「500 文字の心臓」では、参加者の選評が読めるんですけど、同じ作品でも、読まれる方によって、随分違う印象をもたれていることがわかります。例えば、ある人がユーモラスだと思われた作品を、ある人は哀しい話だと思われたり。論理的に読み解こうとする方もいらっしゃいますし、印象論で語る方もいらっしゃる。そこに確とした「正解」はないと思います。それぞれの方々が積まれてきた経験や、読書環境によって、見えてくるものが違ってくる。「500 文字の心臓」の選評を読むと、そのことをつくづく感じます。で、それはそれでいいんじゃないかと。むしろ面白いぞと。そんなふうに思っています。
 もちろん、書いているほうの人間は、なんらかの意図をもって書いているので、そこから外れる感想が量産されることも当然あって、その際には書き手は臍を噛むんですが(笑)、その辺のズレも含んで、超短編の面白さだと思っています。
雀部> 読み方に「正解」はない、というのはよく聞くフレーズなんですが、超短編の場合は各読者毎の「ズレ」もまた面白さであると。
タカスギ> 超短編を「読む」作業は限りなく「書く」作業に近いのです(笑)。たしかにそのあたりの取っつきの悪さは、ハードルになっているかも知れませんね。しかし意外なことに、超短編って小学生や中学生に評判が良いのです。たとえば知り合いのお子さんは『超短編の世界vol.3』を読んで一気に引き込まれ、続けて1と2を購入し、一日中読んでいたといいますからうれしい限りです。携帯やメールに慣れた世代には、超短編の「短さ」がちょうどいいんじゃないかなあと思います。
雀部> あ! 確かに携帯世代にはぴったり来る長さ!
 タカスギさんの「日本の奇祭」も面白かったです。金田投手の例もあるから、実際に起こりうるかも(笑)
 あと『超短編の世界 vol. 3』に収録されている〈惹かれあう物語〉は、どういう風に書かれたのでしょうか。楽志さんとタカスギさん、加楽さんとたなかさんが同じお題で書かれてますが。
たなか> 〈惹かれあう物語〉に掲載されているわたしの作品は、「しっぽ」と「笑い坊主」ですが、このタイトルはふたつとも、元は「500 文字の心臓」で競作のお題となったものです。それぞれの回の参加作品は順に、33 作品、30 作品です。なので、同一タイトルの作品は、実は 2 作品ではなく、多数存在します。そのなかで、「しっぽ」に関しては加楽幽明さんの作品と、「笑い坊主」に関しては我妻俊樹さんの作品と拙作とをカップリングして、本書には掲載しました。そういう経緯がありましたので、同一タイトル作品の候補作は、実はたくさんあったんです。
タカスギ> 「物語の物語」は、「500文字の心臓」で2004年に行なわれた、超短編トーナメントに出場したときの作品です。同じタイトルで書かれた二つの物語がタイマン勝負をするというすごい企画。(笑)タイトル以外にも縛りがあって、この時は「三人称で書かれていなければならない。」と「固有名詞を一つだけ出さねばならない。」という縛りがありました。この「固有名詞」をどうしようか考えたところで、二人の考えが偶然一致したというか……。
楽志> あれは、発表されたとき、お互い驚きましたね(笑)しかし、固有名詞をひとつ、となると特異点としての相手の名前を用意するというのは当然の帰結かもしれません。
 トーナメントというのは何回かやりましたが、勝ち上がるごとに縛りが科せられる仕組みでした。この縛りがけっこう面白くて「カタカナを使ってはいけない」とか「『空に浮いていた』という文をどこかに使え」とか、ありました。前者のしばりのとき、僕は全部カタカナで書くというルール破りをしてたなかに敗北しました(笑)。「空に〜」というセンテンス縛りは、「カメラ・オブスキュラ」という作品がそのときに生まれたものです。これ、どこに「空に浮いていた」があるか探してみてください。
 話を戻しますが、この「惹かれあう物語」は、候補作リストを作成したときに(「500文字の心臓」の競作やトーナメントからとったので当然の結果ですが)同一タイトルの作品が並んだのを見て、ぜひ対比をやりたいなと思ったものなんですよね。超短編は短いのでこういった作品同士の相互作用によるおもしろさ、も出しやすいんです。この短さ故の柔軟性をぜひ味わってもらいたいと思いまして。トーナメントなどの企画ができるのも、この柔軟性があるからこそかと思います。
 タイトルが同じ、というのは書き手もそうですが、読み手にとっても「読みの縛り」というようなものが科せられているわけで、普通に読むのとは違った見方で読まざるをえないんですよね。そういう体験も超短編の面白さなのです。
たなか> 「500 文字の心臓」では、参加者がそれぞれ選んだ正選と逆選の評の数を集計して、毎回、正選王と逆選王が選ばれるのですが、我妻さんの「笑い坊主」は、競作時、正選王に選ばれた作品です。そして、「しっぽ」なのですが、実はこの回の正選王に選ばれたのは、幽明さんの作品でもわたしの作品でもなく、別の方の作品でした。2 作品を対にして掲載することを考慮したとき、競作という場による評価とはずれてしまったんですね。そのあたりは個人的に、本書を編んでいるときに面白く感じたことでもありました。
 「しっぽ」や「笑い坊主」というタイトルの作品には他にどんなものがあったんだろう、と興味を覚えた方がいらっしゃいましたら、どうぞ「500 文字の心臓」の該当ページを読んでください。バラエティに富む作品群が並んでいます。それぞれの票の集計結果も公開されていますので、自分だったらどの作品を選ぶかなーと考えながら読まれるのも一興かと。そして、さらに興味を覚えられましたら、選評に参加いただき、さらにさらに興味が出てこられましたら、今度は作品の投稿もしてみる、と。そんな感じで、みなさまの参加をお待ちしております。(笑)
楽志> 「興味を持たれた方へのメッセージ」的な発言としてはだいたいお二人のおっしゃることと同じなので、ちょっとだけ付け足したいと思います。
 ぼくは超短編というジャンルそのものを普及したいと考えているので、本当は「読者が想像力で大いに補ってください。後はご自由に」と突き放したい部分を、少しだけ手伝ってあげてもいいのかなと思っている部分があります。
 読み方に正解はない、というのはどのジャンルでも正論でしょう。とはいうものの、すでに確立しているジャンルではある程度、文化とか歴史のような者が外部にあって「筋の良い読み方」が、たとえそれが複数あるとしても、それらのいずれもが「良い読み方である」というコンセンサスがコアな読者側にはぼんやりとありそうな気がしています。結局のところ、それは「良い読み方が出来る、良い作品である」ということと同じです。
 いっぽうで、超短編、っていうのはまだ確固たる地位を確立できたジャンルではありません。我々の読み方が特別識者の読み方かと言われるとべつにそういうコンセンサスが得られているわけではないのです。なので「良い超短編」なんてものはまだみんな共有できてない部分がある。競作をやっていますが、競作の優秀作が我々三人で選んだときに必ずトップになるかというとそうでもない。
 ただ、あるていどの数を普段から読んでいて、その面白さを言語化でき、それがそれなりに読み手にも理解されうるだろう、という書き手として今回ぼくたち三人で「良い超短編」を「超短編の世界3」にまとめさせていただくことになったわけです。この面白さについては、もちろんぼくたちの主観に過ぎないわけですが、超短編をたくさん読んできたなかでなんとなく作られたものさしで面白いだろうと思われる方向性をたくさん入れ込んだものになっていることだけは確かです。なので、これを機会があれば「ぼくたちはこう読んで面白かったので載せました」という読みときもしていければいいな、と思っているところなんですよね(あ、これは三人の中でぼくひとりが勝手に思ってるだけですが)
雀部> それ、わかります。
 では、たとえば楽志さんの超短編「まちがい」では、ロバート・A・ハインラインの「彼ら」や映画「トゥルーマン・ショー」的な不条理な面白さを感じたんですが、書かれている時にそういう意図はあったのでしょうか?
楽志> 僕は、「世界の裏にある壮大なからくり」みたいな話が好きなんですよね。目に見えている世界の裏には実は整合性の取れた仕組みがあるんだけど、目に見える側にはその一部だけが見えていて、結局からくりが何なのかが良く分からない状態、という状況に面白さを感じるんです。僕がこの手の話でいちばん印象に残っているのが、ラテンアメリカのフリオ・ラモン・リベイロという作家の「記章(バッジ)」という短めの作品です。これは主人公はからくりのなかに巻き込まれながら、そのからくりを最後まで理解できない、という巧妙な話なんですよね。
 ボルヘスの作品が好きなのも、作品の表面に出てくるのは一部分で、その背後の壮大な企みを感じさせる、というところなんだと思います。「背後の物語を想像させる」というのは超短編のやりかたそのものです。なので、自分の書くものにもその辺の嗜好が反映されているんじゃないかと思います。
雀部> やっぱりそういう「世界の裏にある壮大なからくり」を意識されていたんですね。
 ところで『超短編の世界 vol. 3』収録の「歯」なんですが、歯科医としてはこれは聞いておかねば。これって、いわゆる差し歯が取れたんですか?(笑)
タカスギ> 実はぼく、小学四年生の時に転んで以来、前歯が一本差し歯なんですが、いままで取れたことはありません。というわけで、これは小学四年生の時に折れた自分の歯です。(笑)
 「歯」という作品はほんの一行の作品で、抜けた歯が実は自分のものだったという、ただそれだけの内容です。しかし、じゃあいったいなんで歯がそんなところにあるんだろうとか、自分から切り離された身体の一部と対面する奇妙さだったりとか、読後にちょっと不思議な余韻を漂わせる作品です。こういった超短編のシュールな感覚は、SFにも通じるんじゃないかなあと思っています。
雀部> ご自分の歯だったんですか!確かにシュールです(笑)
 今回はお忙しいところありがとうございました。
 『超短編の世界 vol. 4』の予定はいかがでしょうか。
 その他の近刊予定、執筆中の作品もございましたらご紹介下さい。
タカスギ> まだ具体的に『超短編の世界 vol. 4』の出版は決まっていませんが、そのうち動きがあると思います。ご期待ください。
 個人的には、自作を英訳したいと思っています。もちろん、ほくは英語が出来ないので誰かにお願いしたいと思うのですが、超短編って、案外、日本的な魅力も秘めていると思うのです。Haikuの文脈に連なるような……。日本で売れなきゃ外国で売ります(笑)。あ、もちろん超短編マッチ箱も作っていきますので、こちらもよろしくお願いします。
雀部> 英訳は面白い試みですね。「アニマ・ソラリス」でも、「第65回世界SF大会 Nippon2007」にあわせてブックレビューの英訳を試みたんですが、最終的には知り合いの旦那さん(アメリカ人)に、おんぶにだっこの形になってしまいました(恥;)
楽志> この数年、まとまった時間が取れず、ほとんどが受け身の活動になってしまっています。各方面から超短編マッチ箱(サイトおよび同人誌)はどうなっているんだ、というおしかりを頂いておりまして、まことに申し訳なく思います。時間が取れたらもちろん同人誌活動も、サイトの更新も再開はしていきたい気持ちはあるのですが、依然として日々の忙しさは軽減されておらず、もしかしたらイベントのような揮発性の活動がしばらく中心になっていくかもしれません(サイトの更新についてはコンテンツはあるんですよね。更新作業等の管理をお手伝いしていただける方がいらっしゃいましたらご連絡いただけませんでしょうか)
 あ、あと、個人的な活動で言えば、「かばん」という短歌同人誌で、佐藤弓生さんの短歌からイメージを膨らませた掌編競作という企画にご依頼を頂いたので、超短編を一つ書きました。次に出る号に載せていただけると思います。
雀部> 楽しみにお待ちしてます。
 タカスギさんと楽志さん、「超短編マッチ箱・西荻beco cafe 出張編」頑張って下さい(笑)
たなか> 『超短編の世界』のような超短編作品集については、今後もなんらかのかたちで出し続けたいなと思っています。その際にはまたこの猫の手をこき使ってやってください、タカスギさん。(笑)
 わたし個人の話ですと、「アニマ・ソラリス」でもまた短編を発表させていただきたいなーと。みなさま、よろしくお願いいたします。また、「よみラジの時間」では、今後も拙作が朗読される機会があるそうですので、よければ続けて聴いてみてください。それと、これは言っちゃってもいいのかな。現在停滞中、というか、わたしが止めてしまっているんですが……なので、まだナイショ? 雀部さんの原案をわたしが書き下ろす、BL-SF 連作超短編に挑戦しようという壮大な試みが……!(笑) 見事かたちになることがございましたら、お目汚しになりますが、こちらで発表……されるんですか?(笑) その際にはどうぞよろしくお願いします。しまった。自分で自分にプレッシャーをかけてしまった。(笑)
雀部>  お、新短編の構想を表明されましたね。ついにBL-SFが日の目を見るのか!(笑)
 出来るだけ協力させて頂きますので、よろしくお願いします。


[タカスギ]
おおむね300文字程度の超短編作品を得意としておりますが、一行超短編も書いてます。たとえば「見聞録=這うものと転がるものが浜辺で出くわした。ポエエエフ。この星の話はこれでおしまい」とか。超短編のご用命はhelpless.shintaro@mba.nifty.ne.jpまで("@"を半角にして下さい)
[楽志]
子育てのかたわら、超短編とか怪談とかを書いています。超短編のポータルサイトを目指して立ち上げた「超短編マッチ箱」は現在、更新が止まっております。お手伝いしていただける方はぜひご連絡を。
[たなか]
「アニマ・ソラリス」では短編を中心に発表させていただいていますが、創作のホームグラウンドは超短編です。「たなかのおと」に既発表作をちまちまとまとめ中です。
[雀部]

その昔、「日経MIX」というところで、400字〜800字のショートショートを投稿して楽しんでいました(元sf会議議長)
おおむらさんの「超短編マッチ箱・西荻beco cafe 出張編」参加感想はこちらから

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