
雲南市三刀屋町根波別所の深谷温泉「ふかたに荘」にて開催。
石飛卓美先生は、2014年5月に逝去されました。
こうやって地元で遺作展が開かれるのも、先生の人徳の成すところではあります。

雲南市三刀屋町根波別所の深谷温泉「ふかたに荘」にて開催。
石飛卓美先生は、2014年5月に逝去されました。
こうやって地元で遺作展が開かれるのも、先生の人徳の成すところではあります。

11作目の『亡霊たちのフォークロア』出版時の新聞記事
椎茸農家にとって最も忙しい春。妻裕見子さんと訪れる客のもてなしにも大わらわの中、深夜ワープロを叩いて「妄想」を巡らし、三ヶ月かけた自信作とのこと!

一番上。
2000年に出していた宣伝用の葉書(裕見子さまご提供)
5000株とあるので、相当な景観だったと思われます。

上から二番目
2001年の新聞での紹介記事
エビネランは直射日光を嫌うと書いてあります。
なかなか繊細なランのようです。

上から三番目
2002年5月
三刀屋町の広報パンフで取り上げられています。
三刀屋町の景勝地の一つだったのでしょう。


『情燃ー瞬間』台湾で出版された『ふたりの森のラビリンス』
著者の情報があまり書いて無くて(わざと?)、これを読んだ台湾の少女たちは、作者が女性と思ったらしい(笑)

表紙カバー右そでの「著者紹介」
『ふたりの森のラビリンス』の表紙画像その他は「石飛卓美先生著作紹介」から

スポーツ新聞の大阪本社版に週一回掲載されたちょっとエッチな掌編。
織田信長と森蘭丸が登場。

右のコラムには、由井正雪が登場。後生でこういうコラムに登場するとは、正雪も驚いたことでしょう(笑)
日付が、1992年4月となっています。この頃を中心に八年の連載があったと推測されますが、正確にはわかりません(汗;)

石飛先生の奥様が1980年頃から、SF界の巨匠ロバート・A・ハインライン氏と文通されていて、1982年10月にはご夫妻で来日されたハインライン氏が、翻訳家の矢野徹氏と柴山裕見子さんともう一人のファンの女性(裕見子さんの友人)に会われた話はSFマガジンでも紹介されました。
これはハインライン氏からの最初の返信の手紙です。ファンレターが多いので、返事の部分が箇条書きになっていて、マークシートになっていて、左端にチェックを入れていく型式になっています。
最初は、もう返信は出さないと書かれていたのですが、何度も手紙を出すうちに長文の返事が来るようになったそうです。
日付が、1980年の10月付けになってます。


『人狐伝』石飛卓美著
表1の書影ですが、これには『人狐伝(にんこでん)』とルビがふってあります。『才のままに生きて、努力というものをしなかった小説家の遍(変)歴』内の記述には『人狐伝(じんこでん)』とルビが。う~む(笑)
【追記】チェックして頂いた飛浩隆先生から「『人狐伝(にんこでん)』が正しい」と教えて頂きました。他にも気がついた方がいらっしゃったみたいです。飛先生ありがとうございました。

『人狐伝』石飛卓美著
表4の画像ですが、著者紹介のところに“友人と貿易関係の会社を経営しつつ、執筆活動を開始”と記されてますが、創作活動を始めたのは帰省して椎茸栽培に従事するようになってから(町会議員に当選した後)だと思います。まあ、だからどうだとは言いませんが。本の内容には関係ないし(笑)
表1の帯に、「創刊記念プレゼントとして、抽選でポラロイド・スペクトラ20台又はウェストバック500個」とあります。なんたる大盤振る舞い!SFとか伝奇物がブームだったのです!
表4の石飛先生の著者近影は、そのポラロイド・スペクトラで撮った写真です。



日常系SFヒューマンドラマ「まどいのいきもの-銀河生物観察記-」永田礼路著(ビッグコミック12月増刊号)
連載第五回「スリーピング・ダーティー」
最近、変な時間に強烈に眠くなってしまう患者。単に怠けているようにも思われる症状。しかし本人はそのつもりは全然無くて、やがて影響が周りの人にも出始めた……
ほら、あなたが仕事に行きたくないのも、この病気に感染しているせいなのかも(笑)
来春、単行本化決定とのこと!永田先生おめでとうございます。(^o^)/